どうぶつピース!!あさま山荘事件で活躍の犬!歴史的事件の裏側ペット仰天話
2019年2月15日(金) 18時55分~19時56分 テレビ東京系列で放送
警察犬「アルフ号」が取り上げられます。
1966年生まれの「アルフ・フォン・ムト・ハイム」号は、激動の昭和の日本で活躍した警察犬。もちろん犬種はシェパード
で、「警視総監賞2回」「警察庁刑事局長賞2回」「警視庁刑事部長賞9回」を代表に、計109回も表彰された名警察犬です。
主なアルフ号が担当した有名事件には「爆弾闘争」や「浅間山荘事件」「世田谷連続放火事件」「真岡銃砲店襲撃事件」などが挙げられ、犯人らが隠していたダイナマイトや鉄バイプ爆弾を発見するなど、数々の功績を挙げてきた日本を代表する警察犬
若いときは落ちこぼれだったアルフ号
民間訓練士より推薦を受けたアルフ号を担当したのが、後にアルフ号と共に注目を浴びた天野重夫(あまの しげお巡査(当時)である。天野は温厚篤実かつ粘り強い人物で、直轄犬制度導入の翌年(1957年)から警察犬を担当し、アルフ号以前の担当犬でも実績を挙げていた。
初めてアルフ号を見た天野は、体躯の小柄な点を心配したが、十分な持来欲(じらいよく)を持つ点と、当時優秀な成績を挙げていた担当犬アリス号と顔つきが似ている点に期待したといいます。
1967年2月7日に警視庁警察犬訓練所の「テスト犬」(仮入所)となったアルフ号は、当初、問題の多い犬だった。先天的に胃腸が弱く、排便時間でないときに犬舎で下痢をするので、他の犬とは別に消化の良い餌を与える必要があったのです。
訓練にあたっては、「座れ」「伏せ」などの動作はできたが、体力が無く障害飛越訓練などで疲れると言うことを聞かず犬舎へ逃げ戻るので、訓練所の係員からは「ダメ犬」との批判や民間訓練所への返却を促す声もあったとのこと。
一般に直轄犬導入には3ヶ月の「テスト犬」期間を置き、その満了時に警察犬としての適性を評価し民間訓練所へ返却するか警察予算で購入するかを決定されるが、アルフ号は実績ある天野の請願によってその期間を延長された。
アルフ号には体力以外に何か長所があると考えた天野は、アルフ号に体力を要する訓練を無理に強いず、代わりに応用訓練である足跡追求などを試みたところ、アルフ号は地面との摩擦で鼻先に傷を負ってもなお匂いを追う集中力の強さを見せ、この点で適性を認められて、仮入所から10ヶ月ほどを経た1967年12月1日に直轄犬採用(正式入所)された。
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真岡銃砲店襲撃事件・・・
革命左派(京浜安保共闘)は獄中の最高指導者川島豪の奪還のため、外国領事館等の要人を誘拐して人質とするべく調査したが要人誘拐は困難であると結論づけて断念。
そこで川島が公判出廷のために横浜拘置所から横浜地方裁判所に護送される際に襲撃することを計画し、そのために必要な銃火器の獲得を急務としていた。
1970年12月18日、交番を襲撃して銃を強奪することを計画した革命左派は上赤塚交番を襲撃したが失敗。これにより交番をターゲットとすることを断念し、狩猟中のハンターから銃を奪うことも計画され実行のために調査もされたが、最終的に狙いを民間銃砲店に定めることとなった。
民間人を襲撃することに対して疑問の声も出たが「銃砲店は警察権力と一体化しているので、その末端機関と見なすべきだ」と正当化された。
当初実行メンバーには獄外指導部メンバーであった坂口弘も加わっていたが、獄外最高指導者で坂口の内縁の妻でもあった永田洋子に反対され実行直前になって他のメンバーと交代した。
1971年2月17日午前2時半頃、電報配達を装って栃木県真岡市の銃砲店の勝手口を叩く音に反応して戸を空けると、革命左派の3人の男が乱入し、一家4人を縛り、猟銃10丁(散弾銃9、ライフル1)・空気銃1丁・銃弾約2300発を強奪した。
この後連合赤軍は山岳アジトに活動拠点を移し、あの悲惨なリンチ事件やあさま山荘事件を引き起こすきっかけとなった、重要な事件。
赤羽警察署では、直ちに埼玉県境の橋で自動車検問を実施し、男2名が乗った栃木ナンバーの自動車に職務質問をしたところ、急に発進し、警察官1名を引きずり逃走しました。
その後、犯人はカーブを曲がりきれず、大破した車を乗り捨てて住宅地方向へ逃走したため、警察犬の出動が要請されました。
出動要請を受けた警察犬班は直ちにアルフ号を同乗させて現場に急行し、乗り捨てられた車のそばに落ちていたスキー帽を原臭に追跡を開始しました。
しかし200メートルほど先で臭気が消失したため、警察犬担当者は犯人がその付近に潜伏しているものと判断し、アルフ号の引き綱を取り外し、自由検索に当たりました。
すると臭気が中断した地点から約100メートル離れたアパート路地内のゴミ集積場所に潜んでいる男2名を発見し、緊急逮捕しました。
このほか、連合赤軍による「あさま山荘事件」が発生した際には、共犯者捜索の任にあたり、雪の舞う零下15度の山中を約8キロにわたって追跡し、犯人らが隠匿していたダイナマイトや鉄パイプ爆弾を発見したり、多くの難事件を解決したりするなど数々の業績を残しました。
そんなアルフ号も寄る年波には勝てず、享年1976年9月18日(10歳6ヶ月)、担当官の訓練士の腕に抱かれたまま、老衰によってこの世を旅立ちました。10歳っていうと若い気もするのですが、仕事をしていたのでハードなんでしょう!アルフ号は人間でいえば約70歳でした。
最期は、担当者に抱かれたまま、眠るように息を引き取ったということです。
日本を代表する警察犬となりました。
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今もなおその業績は讃えられ、警視庁のホームページにもアルフ号の業績が掲載されているほか、兵庫県尼崎市にある尼崎市動物愛護センターにはアルフ号のブロンズ像が設置されています。