1番だけが知っている田中角栄を総理にしたのは愛人だった!禁断のラブレターを公開
2019年3月4日(月) 22時00分~23時07分 TBS系列で放送
越山会の女王佐藤明子(佐藤昭)の娘で田中角栄の娘。
佐藤明子はいわゆる正妻ではなく愛人だが田中角栄の庇護をうけ絶大な権力を握っていた。
いわゆる金庫番であった。最盛期には100億円の金を右から左に動かして、権勢を我が物にした女性。
その娘がテレビに初登場する。名前を佐藤あつ子さんという。
子供時代はどういう生活をしていたのか?
お父さんが田中角栄?ってなかなか想像すらできない境遇。
ではどんな子供時代だったのか。
田中角栄が昭子や敦子に宛てて書いた手紙を発見した。この手紙は「田中角栄の恋文」として『文藝春秋』2011年(平成23年)11月号に立花隆の解説と共に掲載されたが本日の番組で紹介される。
佐藤あつ子の子供時代
遊びたい盛りだった小学4年生、もうすでにあつ子さんは塾通いをしていたという。
私立中学を受験する準備のためだ。後に、慶応義塾中等部に合格するが、本人の希望ではなく母の一存だった。
なにせお金はある。慶応といえばブランド校。慶応への進学を母の佐藤昭子(佐藤昭)さんが強く希望したらしい。当時佐藤昭子さんの権力は相当大きかった。
佐藤あつ子さんは言う。
「テレビで演説をしている政治家の先生たちも、オヤジ田中角栄ですらも、母に逆らう人は誰ひとりいませんでした。いつも家の中の中心は母で、私はその陰だった」
小学校から帰ると母は麻雀室から顔を出して「おかえり~。塾の帰りは朝賀(昭)くん(田中角栄氏の秘書)が迎えに行くから」と声はかけてくれるが、食事はお手伝いさんが作ったものをひとりで食べた。お母さんは食事など作らない。
常に政治家などとの付き合いがメイン。佐藤あつ子さんの娯楽は『ルーシー・ショー』や『宇宙家族ロビンソン』などの米ドラマ。それらを見ているときだけが唯一楽しいと思える時間であった。
政治家秘書として忙しい母を困らせないよう、いい子でいたのだが。反抗期というものは誰にでも訪れるもの。
お酒を飲むことを覚え、当時流行ったサブカルチャーの影響で“ラリる”ことを知る。お酒と鎮痛剤と睡眠薬。さらに咳止め薬を一気のみして、自分を忘れたくなった。
もう佐藤あつ子さんのいい子も限界を超えていたのだ。
恋愛がうまくいかなくなるたび、酒と薬に逃げてあつ子はなぜそんな境遇に自分は生まれたのかを問い返し、何度もリストカットなど自傷行為や果ては自殺未遂にも及んだ
佐藤昭子さんはオロオロはしたが、事後処理は秘書の朝賀さんに任せた。「なぜそんなことをするのか」と、膝を交え面と向かってくれることは、一度もなかった。
麺と向って娘の佐藤あつ子に向ってきたことは一度もなかった。
おそらく、彼女にはどうしていいかわからなかったのだろう。100億円のお金を動かす越山会の女王も子供にはまったく為す術がなかったのだ。
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田中角栄が佐藤昭子を気にいった理由
田中角栄の秘書になった頃の佐藤昭子の身長は157cmで、バストは97cmもあったが、ウェストは58cmしかなく、ヒップは95cmほどであった。田中角栄はこのスタイルを好んだのでは?
敦子は著書の表紙裏に、4歳の夏に母に連れられて行った柏崎の鯨波海水浴場で巨岩に腰掛けた二人の写真を載せ、33歳だった佐藤のグラマーな水着姿を伝えている。
田中が幹事長時代にゴルフを始めると、佐藤もゴルフに親しんだ。
男性並みの飛距離を誇り、田中より飛ばして不機嫌にさせることもあったが、大きなバストが邪魔になることもあった。
ダンスの名手で麻雀も好きだったが、お酒は飲めなかった。たばこはハイライト、マイルドセブンを好んだ。小林旭の大ファン。
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