あたまが長い!?
中島香里の経歴や年齢少女時代は
ナカイの窓「色白VS色黒SP」
2017年8月23日(水) 23時59分~24時54分
中島香里(なかじまかおり)さんこの方テレビの通販番組でよく見かけます。
もちろん色白の部で出演
株式会社クリスタルジェミー代表取締役社長・素肌美研究家。名古屋で海運業を営む家庭に育ち、化粧品会社を経営する夫と結婚。
しかし、その会社が経営危機に陥り、建て直しのため仕事を手伝うことになる。
全国をまわり、商品説明会を行ったり、主婦の視点で商品開発にも着手。’98年より、テレビ通販番組『ショップチャンネル』にすっぴんで出演し、やがて、出演のたびに売り上げ記録を更新するようになる。
現在は、ショップチャンネルの総合部門で、4年連続、売り上げNo.1を独走しています。
中島香里の少女時代
中島香里は名古屋で生まれ育ちました。
自動車の搬送をする海運業の社長令嬢として、結婚するまでを名古屋で過ごしました。
高度成長期で、日本経済がもっとも活気にみちていた時代。
何不自由ない生活だったが、厳格な両親によって厳しくしつけられました。これは中島香里の母が、尾張藩にもつながる士族の娘だったことが大いに関係があるのでしょう。
品格を保つこと、自分の考えをもつこと、そして美しく生きることが美徳であるという「武家の娘」であることの誇りが、まだ幼かった香里へと教えられた。
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さしずめ、母を専任コーチにした、素敵なレディになる個人レッスンです。
着物を着たときの所作の美しさも、この頃に自然と身につけていたものだ。 なにしろ、日本舞踊、琴、長唄、三味線、ピアノのレッスンと、小さな子供の頃から、日々お稽古の予定でいっぱいだったというのです。
これは将来の社長になる予備教育だったともいえます。
大学時代の香里を写した一枚の写真がある。上品なドレスを着ておだやかにほほえむ姿は、絵に描いたような「箱入り娘」である。この後の彼女に、波瀾万丈なドラマが待っているなんて、このときの彼女、そして両親には想像もつかないことだったでしょう。
社交界デビューをしたのもこの頃。
父の会社のパーティーや進水式などに、父と連れだって出席し、政財界人たちがいろいろな話をしてくれたといいます。
でも、彼らが言うのは決まっていつも「仕事をしたら女は終わりだよ」ということばかりです。
その頃はまだ、日本を動かす男たちにとって女性は、美しく着飾って隣でほほえんでいればいいという認識だった。
香里は、笑いながらそれを聞いていたといいます。
そういった社交の場で、日本の経済がどんなふうに動いているかを見ることができたのは大きな勉強になったと、中島香里自身も著書などで語っている。
その頃の彼女に「仕事をする女性」になるという野心があったのかどうかはわからない。 あったとしても、おそらく本人ですら気づいていなかったでしょう。
だが、彼女自身も気づかないところでその後の中島香里の生き方を決める「何か」が、そのときすでに生まれていたのだと思う。それは皆が予想しなかった方向でした。
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中島香里のプロフィール
年齢は非公開なのだそうですが、なんと昭和20年代生まれなので、2017年現在で63~72歳となります。
もし72歳であの肌だと脅威です!
自社製品をその年齢に応じた輝く理想の素肌美を求めながら、自ら研究開発に意欲的に取り組み、そして自らの肌で確かめた化粧品をお客様にお届けしているそうです。
血液型 : A型
星 座 : さそり座
趣 味 : ドライブ
座右の銘 : 継続は力なり。続けることは才能。
好きな食べ物 : お肉
苦手な食べ物 : お魚(かわいそうで魚の頭から食べられない)
好きな歌 : 美空ひばり「人生一路」
クリスタルジェミーの評判
会社名:株式会社クリスタルジェミー
商品名:
このような悪評もあります。
ご本人は色白なのですが、効果は不明なのでこのブログでは化粧品の紹介は行いません。
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【金スマSP出演2019.4.26追記】かっては通販で1時間1憶売る社長と言われていたが、2019年には2億円にバージョンアップした売り上げ。