4月5日(水) よる8:57〜10:54(全国ネット) TBS系列
【石橋貴明のスポーツ伝説…光と影】
元大関魁皇(浅香山親方)が出演します。
メインMCの石橋貴明のインタビューに応じるようです。
ご存知稀勢の里は優勝初場所で初優勝して横綱に推挙されました。
その勢いそのままの勢いで2度めの優勝。
2度めの優勝ではケガを押しての優勝になりました。
管理人から言えば大阪場所の千秋楽の相撲は(いくらケガしているからといっても)褒められたものではありませんでした。
しかし、魁皇は2011年7月場所は、千代大海と並ぶ史上1位タイの大関在位数65場所目を迎えました。
同場所では初日から3連敗し苦戦を強いられたものの、4日目で千代の富士の持つ通算1045勝に並び、5日目に2勝目をあげて、通算勝星史上単独1位となる通算1046勝の記録更新となった。
しかし、魁皇は以下の様は堂々の成績を残しているのにもかかわらず、横綱になれませんでした。
ここに魁皇と稀勢の里の因縁がうまれたと管理人は考えています。
”稀勢の里なれなかった男”これはTBSがつけたキャッチコピーです。
管理人はそうは思いません。魁皇関はうんが悪かったと言うことです。
運が悪いというと非常に残念なのです。が、魁皇には全く失礼な話。魁皇は魁皇でプライドを持って相撲を取っていたはずです。
運と一言で言っても、魁皇が横綱に一番近づいたときの相撲界の状況や横綱が何人いたかとか、横綱審議会も周りの環境に横綱推挙が左右されることは十分にありえます。
魁皇のプロフィール
四股名: 魁皇 博之
本名: 古賀 博之
愛称 :キンタ、ゴリライモ、会長
生年月日: 1972年7月24日(44歳)
出身 :福岡県直方市
身長 :185cm
体重: 175kg
BMI :51.13
所属部屋 :友綱部屋
得意技 :左四つ、寄り、叩き、上手投げ、小手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 東大関
生涯戦歴 :1047勝700敗158休(140場所)
幕内戦歴 :879勝581敗141休(107場所)
優勝 幕内最高優勝5回
幕下優勝1回
三段目優勝1回
賞 殊勲賞10回
敢闘賞5回
データ
初土俵 1988年3月場所
入幕 1993年5月場所
引退 2011年7月場所
引退後 浅香山親方
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魁皇と稀勢の里の因縁と魁皇が優勝できなかった理由
32歳となる2004年には円熟期を迎え、全場所で二桁勝利を記録。9月場所には13勝2敗で5回目の優勝を遂げた。4度目の綱取りとなる翌11月場所では、2003年3月場所から続く日本人横綱不在に終止符を打って欲しいという期待が集まっていました。
しかし12日目に3敗を喫し優勝争いから脱落。
それでも「千秋楽で横綱朝青龍を破っての優勝次点なら昇進の可能性がある」との発言が当時の押尾川(元大関大麒麟)審判部長からあり、千秋楽の結びの一番への期待が高まる。
千秋楽では朝青龍を万全の相撲で下し12勝3敗、横綱昇進決定かと思われたが、結局昇進は見送られた。翌2005年1月場所までも綱取り場所とされたが、怪我で途中休場して失敗に終わりました。
この時横綱は朝青龍一人でした。もちろん日本人横綱不在記録は更新中。
従って魁皇がぎりぎり横綱当確とみなされていたのにもかかわらず横綱になれなかったのはなぜ?
管理人の推測ですが、これは当時の魁皇の年齢と途中休場の多さを、横綱審議会が紀にしたのかもしれません。
優勝5回は、歴代横綱と比べても遜色のない成績。
5回も優勝して、横綱になれなかったのは、休場が多いから。
2001年は3月場所から、優勝 → 途中休場 → 優勝 → 途中休場 と続いている。
この極端な成績が信用を得れなかったのかもしれません。安定性がないと思われたのでは?
2004年は、6場所とも10勝以上。これも、歴代横綱でもなかなかできない記録でした。
方や稀勢の里の評価はすこぶる好意的、これだけ長く日本人横綱が生まれないことが、もう国民的課題みたいにおもわれ、至上の命題になりつつありました。
そんな中での、横綱審議ではもう神風が吹いたとしか言えません。
横審委員はこんな発言をしました。(2017年1月23日)
横綱審議委員会の委員たちは稀勢の里への評価や注文を口にした。高村正彦委員(自民党副総裁)は「去年は年間最多勝も取ってるし、まだ強くなれると思う。
その後稀勢の里の横綱推挙は横審委員全員の賛成でこうなります。
日本相撲協会の横綱審議委員会が23日夕、東京・国技館で開かれ、八角理事長(元横綱北勝海)から初場所で初優勝した大関稀勢の里(本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県牛久市出身、田子ノ浦部屋、30歳)の横綱昇進について諮問を受け、全会一致で「推挙」の答申を出した。
これを受けて相撲協会は25日に臨時理事会と番付編成会議を開き、正式に72代横綱が誕生する。日本出身力士の横綱は、1998年夏場所で昇進した3代目若乃花以来、19年ぶり。
まとめ
魁皇と稀勢の里の間の因縁を管理人なりに考えました。
しかし、スポーツ選手も努力+運は避けて通れないです。
努力は皆している。しかしその一瞬に運をつかんだものが勝利するのですね。
この2人の横綱への挑戦の過程をみてそれがよくわかりました。
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