山王寺屋(さんのうじや=眉山家)の夜逃げ
「山王子屋」と「加野屋」の運命
朝の連続テレビ小説「あさが来た」でおそらく
近いうちに放送されるでしょう
あさの姉はつの嫁ぎ先「山王子屋」
はドラマが進展するにつれて
あさの嫁ぎ先の「加野屋」とはどんどん
差がついてくるような雰囲気
歴史を調べてみると
やはりはつ(宮崎あおい)の嫁ぎ先
山王子屋(天王寺屋)は倒産
明治中期には家が断絶
子孫は現存しないそうです。
もちろん江戸幕府の崩壊と同時に
多額の大名貸しが焦げ付いた
のは「山王子屋」(天王寺屋)も「加野屋」(加島屋)
も同じです。
ならば何が異なるかといえば
母体の大きさでしょう。
いくら豪傑のあさといっても
大名家相手に取り立て可能な
金銭は限られるでしょう。
「はつ」が嫁いだ山王子屋(天王寺屋)
江戸時代より続く大坂の両替商
性は大眉(おおまゆ)氏
当主は代々、天王寺屋五兵衛(てんのうじやごへい)
と称しました。
初代の五兵衛は、江戸初期の
大坂で日本初の両替商を創業し
手形の振出しを考案した
人といわれています。
以降天王寺屋は
幕府の御用両替
諸藩の蔵元・掛屋を務め
大坂の金融業界の
中心的存在をなしていました。
江戸時代の大坂十人両替の
一つとして隆盛をほこりました。
しかしドラマにもあるように
明治維新に伴う経済変動に
対応できず、倒産
天王寺屋は明治中期に
断絶したようです。
「あさ」が嫁いだ加野屋(加島屋)
江戸時代の大坂の豪商
寛永年間(1624~1643)
に大坂の御堂前で米問屋を
営んだ。両替商も兼業
諸藩の蔵元・掛屋になって
成長し後両替商仲間の統制
幕府公金の出納、金銀相場の
統制支配の十人両替
の一つに選任されるなど
大名貸で大坂の鴻池家と並び
称される地位をきずきました。
明治維新の際には、新政府にも
資金援助、明治期には
余勢をかって加島銀行を
創設したが、昭和金融恐慌
により昭和12年に銀行を
廃業。これを引き継いだ
生命保険会社が後の大同生命
に発展し現在に至っています。
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十人両替とは
江戸初期の十人両替
1670年ころに創設された
大坂十人両替では
明らかにはつの嫁ぎ先
の天王寺屋が筆頭両替商
でした。
明治維新前までは
天王寺屋は筆頭の
地位についていた由緒ある
両替商だったのです。
- 天王寺屋五兵衛
- 新屋九右衛門
- 鍵屋六兵衛
- 坂本屋善右衛門
- 天王寺屋作兵衛
- 新屋杢右衛門
- 泉屋兵兵衛
- 誉田屋孫右衛門
- 鴻池善右衛門
- 助松屋利兵衛
なんとここには加島屋は
入っていません。
まとめ
では両家の差とは
やはり時代を見る目だと思います。
あさが言っていた素朴な疑問
江戸幕府がなくなったら?
明治新政府に資金を調達
すべきかとか少し先をみる
めが天王寺屋にはなかったのでしょうね。
あのどこか上品な憂いを含んだ
宮崎あおいの演技も、山王子屋の没落を
予感させるものであったのですね。
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