11月14日(月)
プロフェッショナル仕事の流儀
NHK総合 22:25~
で発明家の道脇裕が出演します。
小学校時代から少し変わった発想を持っていた
道脇裕少年はなんと
小学校5年生のときに日本の教育制度に疑問を抱き、
自主休学をしました。
小学校5年生の生徒が教育制度に
疑問を持つとは驚きです。
恐らく早熟な子供だったのでしょうね。
くまのすけなどは何も考えず
外で野球やドッジボールを
して教育制度のに疑問を抱いた
ことなどなかったですね。
さてそんな道脇裕さんの少年時代や発明品の
数々を見ていきたいと思います。
道脇裕のWiki
道脇 裕(ミチワキ ヒロシ)
1977年群馬県でうまれる。
生まれた時はへその緒が絡まって
危なかったようです。
蘇生措置で一命を取りとめた
小さい時は耳が聞こえにくかったようです。
難聴ですね。
母は東京外大物理学担当の助教授から教授(現名誉教授)
父は化学企業の研究所所長
の理系家族にうまれる。
1983年、水中呼吸装置を発明。
2002年、素数分布構造を解明。
2003年、離散と連続を連結する解析的剰余式を証明・導出。
2014年実数と複素数におけるゼロ除算の証明と定式化。
発明考案の数は数万点に及ぶ。
2009年に(株)NejiLawを創設し、代表取締役社長に就任。
2015年、同社の研究所を開所し、現在に至る。
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道脇裕の小学校時代
小さい時は耳がよく聞こえなかったので
文字が苦手で、ほとんど本を読んでいない
ひたすら本を見ていたそうです。
本の挿絵や写真などをひたすら見ていた
幼少期だったといいます。
穴があくほど見ていたそうです。
中でも母親の図鑑や物理の実験の本
がお気に入りだったそうです。
その後数年かけ病院で治療し
聴力は徐々に聞こえるようになりました。
家から2kmほどの小学校に通っていたそうです。
ランドセルに懐中電灯とロープをいれ
毎日違う道をとおって変えるのが日課
勉強道具は学校に置きっぱなし。
家に帰れば勉強など全くせず
ひたすら器械を分解していたそうです。
分解してはまた壊しまた組み立てる
ビリッとする感電はしょっちゅうだった
材料は近所のゴミ捨て場で拾ってきた
そうです。
車のパーツやレジスターなど
自分の体重を超えるもの
を家まで持ち帰る事もあったそうです。
部品の役割を記憶し
好きなバネやレバーなどを大切に
保管していたそうです。
こうしてほとんど学校の勉強もしない
道脇裕でしたが、勉強はよくできた
ようです。
理科が大好きで算数がきらいでした。
理科は実験がたくさんできるから。
記憶力はかなり良かったといいます。
しかし不必要なものは全く覚えない。
この傾向はおとなになった今でも
同じようです。
大学教授の母からは勉強しなさい
と一度も言われたことはないそうです。
小学校を自主退学してしまった道脇裕少年は
学校に行く代わりに
母の研究室でよく時間を過ごしたそうです。
そこには彼の興味を引くものがたくさん
有ったに違いないです。
以来、漁師、とび職など様々な仕事を経験しながら、
常に自分の頭で考えて行動を決めてきたといいます。
緩まないネジを開発
携帯電話が広まる前から、無線機を使って双方向で
同時通話できるシステムを作るなど、
学校にいかなくても発明を続けた。
米国に渡って学んだこともあります。
緩まないねじは道脇裕の
ひらめきとこだわりから生まれました。
きっかけのひとつは19歳のころ、
ねじが原因で自分の運転する車のタイヤが外れたことでした。
ねじの締める力を強くするには、
ボルトとナットなど互いのらせん構造を精密に
作り込み摩擦力を強くすることが
研究者やねじ業界の常識です。
それは今も変わらない。
従来も「緩まない」を標榜するねじはある。
だが、道脇氏は既存の商品は締め付ける摩擦力に頼る
「緩みにくい」ねじだったとみていました。
そこで、らせん構造そのものにメスを入れ、
摩擦に依存しない「緩まない」ねじを実現しようとした。
2010年に米航空宇宙規格(NAS)に
準拠したネジの耐久試験をしたところ、
合格ラインの17分をはるかに超える3時間たっても
全くネジは緩まない。
それどころか、試験装置が先に壊れた。
まさかこのネジを作った人が
小学校も卒業していない?とは
現在の教育制度では中学校までは義務教育
だから嫌でも中学校までは
卒業しないといけない。
しかし道脇裕少年は
日本の教育制度を退屈なもの
と考えてしまったのでしょう。
だから学校を自主退学した。
普通ココまで考える小学生は皆無
そこに彼の非凡さが見えます。
「2000年のネジの歴史を変えた」
耐久試験の噂は瞬く間に広がり、
東京都ベンチャー技術大賞、
かわさき起業家大賞、グッドデザイン賞など
様々な賞を総なめにした。
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