モノシリーのとっておき~すんごい人がやってくる!~
12月1日(金) 19:00~19:57 フジテレビ系列で放送
に金剛組木内組棟梁 木内繁男さんが出演します。
宮大工は飛鳥時代から続く伝統の技能です。そのいわれは、聖徳太子がその昔、三人の宮大工を百済の国から日本へ招いて、四天王寺を建立したのが始めとされています。当時百済のほうが日本より先進国であったわけです。
金剛組の由来は578年四天王寺建立を命じられた宮大工の金剛重光を初代として、現在まで続いています。「世界最古の企業」ともいわれているのです。
現在は宮大工の集団として匠会と言う組織があり、匠会には8人の棟梁が8つの組を束ねているのです。
木内繁男棟梁は8つのうちの一つの組『木内組』の棟梁です。
金剛組はこの8つの組に得意な仕事を割り振っていくのです。
棟梁は各所属の宮大工の適正に応じて仕事を割り振るのです。
さて木内組の木内繁男さんとはどういう人でしょうか?
木内繁男プロフィール
木内組棟梁 宮大工 木内繁男
年齢:66歳
出身地:大阪府
好きな言葉:和を持って尊しとなす(聖徳太子)
宮大工歴:18歳から
趣味:カメラ・車・パソコン
代表作:四天王寺聖霊院奥殿、宝物館
棟梁の苦労:人の和。
貴重な人材が適材適所に十分に匠の技を出せる様な環境作りに苦労します。
受賞:第10回読売あをによし賞
8組約110人の専属宮大工を抱え、堺市美原区にある関西加工センターの加工場(約7600平方メートル)で作業の6割を行い、現場では部材の組み立てや調整をする。1955年の株式会社化以降、住吉大社(大阪市住吉区)の本殿4棟(国宝)をはじめ、172件の文化財建造物の保存・修復、復元工事を手がけた。
神社や寺院を支えてきた人口の減少は深刻さを増し、文化財行政は財政難に直面している。それでも、専属宮大工でつくる「匠会」会長の木内繁男さん(65当時)は「予算がないから簡単な構造でよいというわけにはいかない。常に高度な技を使い、次代へ継承するのが役目」と力を込める。刀根社長も「伝統工法にこだわり、日本の文化を守り伝えるのに貢献していきたい」と語った。
これから宮大工を目指す人に一言
初心を忘れず、励んでください。すべては本人次第です。
この言葉は深い。どんな仕事にも共通する取り組みです。
生まれて来ること。親は選べませんがその後のことは本人に責任があります。
全ては自分の現在の行動のみ
宮大工集団の掟
金剛組には8組の宮大工集団がありますが、1人の棟梁についたら、性格が合おうが合うまいが、原則として各組の職人の移籍は禁止です。理由は移籍を認めると、遠方の現場や知名度の高い建造物など、職人側で選り好みをすると現場が成り立っていかないからなのです。
だから宮大工の弟子も親方を変えることは出来ないのです。性格など技術の前では問題にはされないと言うこと。
サラリーマンの人には考えられないでしょうが!上司の悪口ばかり言う前に見習うこともあるのでは。
木内繁男さんの次の言葉は本当に深いです!
宮大工志望の若者がたくさん来てくれる。彼らには、初日から、必ず作業場の清掃してもらいます。しかし、実際、そこで掃除だけをさせるのが目的ではありません。実は掃除をしながら、色々な職人の技を近づいて見ることができる「権利」を与えているのです。槍鉋(やりがんな)を使う職人の体使い。
荒削りをする職人の腕の勢い。装飾の仕上げをする職人の手元。そういうものに掃除という名目で近づけるのだから、これ以上の授業はない。掃除を任せるだけで、黙々と掃除だけをしている新人と、先輩職人の技を積極的に見て学ぼうとする新人。それぞれの将来の大成ぶりはうかがえるものです。数年で現場で活躍しはじめる者もいるし、10年かかる者もいるし、一生、相番(誰かの協同作業を手伝う係)で終わる者もいる。
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金剛組の危機
高度成長の時は、迷った挙げ句、社寺建築以外に手を出したこともありました。RC(鉄筋コンクリート造)の一般建築物を受注したりね。瞬間は、手広くなって、裕福になりましたよ。でも、長くはうまくいかなかった。
なんでか。それは、志だと思う。私が、そして私の組の職人が、会社が、ひとつになるための志。人でも、企業でも、国でも、礼と匠が一体となる志が、もっとも大事なんじゃないかと思う。金剛組は、今は全部他のことはやめて、社寺建築だけにきっぱり戻しました。
まとめ
番組では木内繁男棟梁がその構造が全くわからない、日本の建造物が紹介されるようです。法隆寺なども釘を使わず建てているとかありますが。
そんなプロを持ってしても、判らない建物とは?
非常に興味があります。