義肢装具士臼井二美男はヘルスエンジェルス代表!どんな組織?

9月5日(月) 22:25~22:15

NHKプロフェッショナル仕事の流儀に

「義肢装具士」臼井二美男に出演します。

 

7日に開幕を迎えるリオパラリンピック。義足スポーツの陰の立役者と言われるのが、義肢装具士の臼井だ。数多くのアスリートの義足を作り、世界へと送り出してきました。

“アスリートの義足”作らせたら、日本では右に出るものはいないとまで言われる臼井氏ですが、現在、運動能力に優れたアスリートだけではなく、「普通の人たち」へ義足を通して「走る喜び」を伝えたいと思い始めているのです。日常的に使用する生活用義足作りこそ、臼井が最も大切だと考える仕事。

 

臼井二美男が徹底してこだわるのは、はく人の“希望”をさりげなく、しかし的確に捉え、あらゆる技術を駆使し、その希望にそうよう努力することです。
この夏もまた、さまざまな願いを持った人々が臼井の元を訪れました。

ミニスカートがはきたい女性、パラリンピックに出たいと願うアスリート、ハイヒールでおしゃれを楽しみたい女性・・・。それは切実な願い、健常者にとっては何気ないことでもね。
「義足の仙人」とよばれる職人の、静かなる闘いの日々を追いかけました。

 

臼井二美男のプロフィール

うすいふみお

氏名:臼井二美男

生年月日:1955年

出生地:群馬県生まれ

職業:義肢研究員・義肢装具士。

大学中退後、8年間のフリーター生活を経て28歳で財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センターに就職。

以後、義肢装具士として義足製作に取り組む。
89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作も開始。91年、切断障害者の陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」を創設、代表者として切断障害者に義足を 装着してのスポーツを指導。やがてクラブメンバーの中から日本記録を出す選手も出現。2000年のシドニー、2004年のアテネパラリンピックには日本代 表選手のメカニックとして同行する。

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通常義足でもマタニティ義足やリアルコスメチック義足など、これまで誰も作らなかった義足を開発、発表。義足を必要としている人のために日々研究・開発・製作に尽力している。 その類まれなる技術力と義足製作の姿勢でテレビ出演等多数。

 

«義肢装具士になったきっかけ»

義手や義足を作る義肢装具士を目指そうと思った直接的なきっかけは、28歳のときに見つけた職業訓練校に貼ってあったチラシです。当時僕は今でいうフリーターみたいな感じで、いろんなアルバイトをしながら生活してたようです。

臼井氏の職場。ここで年間100足以上の義足が生み出されている

僕は前橋出身なんですが、地元の高校を卒業後、東京の私立大学の文学部に入学しました。文学部を選んだ理由も特になく、経済学部や法学部よりは文学 部かなと(笑)。高校を卒業するときも特になりたい職業はなかった。実家は農家で、僕は次男だったので、親は公務員とか学校の先生とか銀行員になれとかし か言わなかったですね。

 

臼井二美男は中学、高校に上がっても、親は農家しか知らないから、その話に「こういう職業はこんな感じで」といったような具体性がないんですよ。世の中にはいろ んな職業があるのにね。まあ確かに田舎だからそもそも職業の選択肢が少ないんですが。だからただひたすら公務員や銀行員などの安定した無難な職業に就けと しか言わなかったそうです。

だから高校を卒業するときも、何になろうとかイメージが湧かなかったですね。なりたいものがなかったというか、分からなかったです。そういう決断をする材料や情報があまりにも乏しかっのです。

だから東京に出て、自分でいろんなアルバイトを経験したり人と会ったりする中で見つけていくしかないと思ってたふしがあります。

それで東京の大学へ入学後、いろんなアルバイトをやるわけですが、そっちの方の比重が重くなってしまって、3年生で中退してしまった。

 

«自分がやりたいことがわからなかった»

21歳から28歳ころまでアルバイト生活でしたが、その間、臼井さんは不安を常に感じてました。俺の本当にやりたいことってなんだろう、この先、自分はどうなってい くんだろうって、常に模索して、悶々としてて、ほんとにさまよってるって感じでしたね。自分が何に向いているのかとか、きっかけとか入り口みたいなのが、 なかなか分からなかった。

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ヘルスエンジェルスとは?

ヘルスエンジェルス

切断者を中心にした誰でも参加できる陸上チームです。

「交互足で走ってみたい」という大腿切断者の言葉をきっかけに、トレーニングを始めたのが1991年。多くの大腿切断、下腿切断、股離断の方たちが100mを完走可能になり、一部の人はパラリンピック出場を果たすまでに成長し、参加人数も年を追うごとに増えています。
活動運営と義肢パーツセッティングサポーターとして、(財)鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターの臼井二美男氏を中心に、義肢装具士とスポーツ指導員 がスタッフとして活動しています。メンバーは、走ることだけでなく、スキー、投てき、幅跳び、シッティングバレーボール(座位バレーボール)、アーチェ リー、マラソン、トライアスロン、カヌー、自転車等幅広くチャレンジしています。
記録よりも、誰でも楽しく参加できることを心がけて、東京都障害者総合スポーツセンターにて月1回の無理のないペースで練習会をしています。

代表:臼井二美男、選手会長:水谷憲勝、登録参加メンバー:約60名
主な練習場所:東京都障害者総合スポーツセンター

 

まとめ

大学を中退して特に目的もなく、フリーター生活をしていた臼井二三男さん

しかし彼のすごいところは結婚を機に手に職を付けたいと本当に願ったこと。

28歳ころ、今の奥さんになる彼女ができて、その人と結婚したいと思うようになったんです。結婚するためには仕事も正社員でちゃんとやんなきゃダメかなと。彼女の親にもちゃんと就職しろって催促されてましたからね。やっぱりそれが大きかったですね。

どうせやるなら手に職をつけられる仕事をしてみたいなと思って、職業安定所や職業訓練校に通ってみることにしたんです。ある日、相談に行った職業訓 練校の帰りに、もう一校別の職業訓練校を見つけたので寄ってみると、掲示板にいろいろ職業訓練コースの張り紙が張ってありました。洋裁とか和裁とかあって 最後に「義肢科」というのを見つけたんです。

誰にでもこういうキッカケってあるような気がします。それをうまく捕まえるか、見逃すかその差は非常に大きい気がします。

いっては失礼ですが、28歳までフリーターで生活していた人間が、こんなにも人に希望を与える仕事をしているという不思議、これは取りも直さずどんな人間にもいつからでもチャンスは微笑むという良い事例です。

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