坪倉優介さんは現在草木染作家をしている。彼が高校生のときバイク事故で記憶喪失になり大変な経験をしたことを知る人は少ないかもしれない。1989年のことだった。
1994年京都の染工房「夢祐斉」に入社し、染師の奥田祐斉さんに師事をしました。2005年自らの工房「優介工房」を設立。
桜・もも・どんぐり・笹などの素材を用いて、草木染を行いファンを魅了している。
また本人の記憶喪失を乗り越えた経験を語り、命の大切さを説く講演会も定期的に開催しています。
記憶喪失になって
勝手に色んな人が話しかけてくる。坪倉優介にとってだれだかわからない。
なにかいわれのない恐怖感に襲われる。
だから彼は自分の部屋から出られなくなっていた。
見たこともない人が来て(坪倉優介の友人)がきて事故の前の坪倉優介のことを話して帰っていく。
どうしてあの人達は僕のことを知っているのだろう。という疑問が出てくる。
いつも家の中にいる人(坪倉の家族)に聞くと、それは友達だからあなたのことを知っているのだと言う答え。
友達の中でも特別中のいい人のことを親友ということもいつも家の中にいる人に教えてもらった。
だからこのいつも家にいるひとも特別親切にしてくれるので親友なのだろうか?
そう聞くといつも家の中にいる人はアルバムを持ってきてやれと別の人にいった。
目の前に置かれたアルバムの中には薄っぺらな人が並んでいる。
動かないし何も話さないのが不思議だった。
一人のいつもの人がいった。
これが赤ちゃんだった頃の優介よ!!
というが赤ちゃん?と言われても何のことかわからない!
これが3歳の頃の優介、5歳の頃の優介と説明してくれる。
よく見るとだんだん大きくなっていっているようだ。
その程度のことはぼんやり理解できるようになっていたのだ。
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坪倉優介の著書
記憶喪失担ったぼくが見た世界
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坪倉優介のプロフィール
坪倉優介(つぼくらゆうすけ)
- 草木染作家。1970年大阪生まれ。*染織コース(専攻科)卒業後、京都の染工房に入社し奥田祐斎氏に師事。
- 2001年草木染作家としてデビュー。大阪芸術大学の大学一年生のときの交通事故による後遺症を克服し、染色家として独り立ちするまでを描いた『ぼくらはみんな生きている―18歳ですべての記憶を失くした青年の手記』はベストセラーになりドラマ化もされた(同書を改題した『記憶喪失になったぼくが見た世界』もある)。
- 趣味はオフロードバイク。
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