小野節子はオノヨーコの妹!世界銀行勤務でモーリタニアに赴任

安田財閥創立者の安田善治郎氏が曾祖父という文字通り“華麗なる一族”に生まれた小野さん。その家系はおもしろいほどに、芸術家と銀行家がずらりと顔を 並べる。祖父は元日本興業銀行総裁の小野英二郎氏。父・小野英輔氏は、戦後すぐに東京銀行NY支店長を務めた。

また、画家の安田岩次郎氏と彫刻家の安田周 三郎氏は叔父にあたり、バイオリニストの小野アンナさんは叔母、従兄弟に画家の石井茂雄氏、芸術家の小野洋子さん(オノ・ヨーコ)は実の姉にあたる。

つまり小野節子さんが世界銀行に勤めることも、その後芸術の道に進むことも、すべてが必然的なことだったのかもしれない。

 

小野さんは兄姉が通っていた学習院ではなく聖心女学院に進学。大学卒業後は、スイス・ジュネーブ大学で博士号を取得し、さまざまな経緯を経て、世界銀行に 就職する。ここまで聞くと、やはり華麗なる一族じゃないか・・・と思う人もいるかもしれない。

しかし、小野さんが選んだ世界銀行での銀行家としての道はと ても険しく、茨の道、いや獣道だったというほうが正しいかもしれない。
世界銀行の面接では世界銀行の現行行員が自国の利益のみに執着している事を批判しハーバードやケンブリッジの受験生に交じって合格しました。

世界銀行という特殊な組織のなかで、日本政府や企業の後ろ盾を持たずに入行した小野 さんを待ち受けていたのは、困難の上に困難が続く厳しい現実だった。

世銀就職後すぐに、アフリカ業務局モーリタニア担当としての仕事が 始まる。日本では考えられないようなシーンに立ち会うこともしばしば。

延々と続く砂漠のど真ん中では、迷子になり生死を覚悟した。直属の上司や同僚 からの辛辣な圧力も幾度となく経験しました。

なんと小野節子は2001年には世界銀行上級顧問に就任。

海外で、しかも巨大な国際機関で女性が一人、想像を遙かに超えた苦労をする。さまざまな経験をするなか、ふとした きっかけから世界銀行近くにあったコルコラン大学の夜間コースで美術を学びはじめます。

銀行家の仕事と、アート作品の制作に没頭できる芸術の世界。このバランスこそが、小野節子さんの精神面にプラスの効果を発揮していました。
これこそが華麗なる一族に生まれたが、芸術に目覚めるDNA。

これは姉のオノヨーコも同様もっと言えば画家の安田岩次郎氏と彫刻家の安田周三郎氏は叔父にあたり、バイオリニストの小野アンナさんは叔母、従兄弟に画家の石井茂雄氏にまで繋がっていくのです。

これこそ芸術家の系譜。方や安田財閥の血筋でもあるわけです。

 

小野節子について

小野節子は名門の家出で、父は銀行家、祖父は元日興銀総裁、曽祖父は安田財閥の創始者で、姉はオノ・ヨーコである。人間関係が日本の中枢の人々で、世界銀行に就職するときの推薦人も東京銀行の頭取だったり、大蔵省関係からの推薦が必要だった米州開発銀行に行くときは、友人の夫であった当事大蔵大臣だった橋本龍太郎!である。

兄や姉はみんな学習院だったが、彼女は語学の必要性を感じた両親が聖心を選ばせた。若い頃から語学に親しみ、留学もしていてイタリア人と結婚した彼女でも 世界銀行での生活はかなり苦労が多かったようです。

言葉の問題というより文化や習慣的なものだろう。かなりがんばって働きいい成果も上げたが、人間関係でつ まずき、米州開発銀行に出向します。

日本人で女性、しかも大蔵省や外務省やらの組織から派遣されたわけではない彼女は孤立しがちでかなり苦労も多かったようです。

どちらの銀行でもつらい思いをかなりすることになり、読んでいても痛々しい感じがしたが、救いは夫の愛に彼女が支えられていて安心する。

アメリカの考え(自由化、民営化、規制緩和、政府の縮小など)をどの国にも押し付ける風潮が最近の国際開発機関にはあるが、政府の弱い発展途上の国にはかえって逆効果になるという話や、なぜ途上国への融資や援助が難しいかなどがよくわかりました。

 

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