ジャスティン・スミスはマイナス20℃の戸外で発見される
3月16日(木)19:57~ フジテレビ系列
奇跡体験!アンビリバボー
救命士も見放した死体に変化が
救命士も凍死と判断!死体に奇跡が起こる!!
この不思議な現象を紹介します。凍った体。ジャスティン・スミスはアイスマンと呼ばれた。
2年前のアメリカ・ペンシルバニア州、スミス一家は前の日の晩から帰らない息子のジャスティンを心配していた。友人によれば21時半には家路に着いたというが、季節は冬。辺りは寒冷地で夜になると気温はマイナス20度に達する。
探しに出た両親は、まもなく雪の中で完全に凍り付いていたジャスティンを発見する。程なく救急隊が到着したが、状態は最悪、検視官も“凍死”の連絡をする。しかしながら、この報告を受けたコールマン医師はヘリコプターで病院に運ぶよう指示を出す。この医師の判断、そして最新の医療技術によってアンビリバボーな奇跡が起きる!
プロローグ
ジャスティン・スミスさんは2015年2月ペンシルバニア州のトレスコウという消防署で開かれた、10年前に交通事故で亡くなった友人を偲ぶ会に出席。
ビールを飲んでいました。
ジャスティン・スミスの飲酒は大した量では無かったそうです。
彼は午後9時ころに消防署の会場をでて3.2km離れた家に向かって歩き始めました。
歩いている最中に何らかの理由でジャスティン・スミスは倒れて意識を失いました。
そのことをスミスさんは全く覚えていないが雪のうえに倒れていた。
一人で歩いていたことが災いしました。
発見が遅れ、見つかったのは翌朝。
父親が発見しました。スミスさんがあるく消防署からの道を辿り、凍った路面に仰向けの横たわった我が息子を見つけました。
発見時にはジャスティン・スミスは息をしておらず脈拍もなかった。
動向は開いていました。
父は息子を腕に抱き泣きながら息子をどうか助けてくださいと泣いていました。
駆けつけた救急隊員はスミスさんの死亡を確認。
スミスさんは亡くなったと判断し検死官を呼びました。
スミスさんの顔に布がかけられました。ジャスティン・スミスは死んでしまった。
その場に立ち会った人は全てジャスティン・スミスが助かる見込みがないと思い込んでいたのです。
救急隊員のエメット・トーマスはリーハイ・バレー病院んの救急医のコールマン医師に電話で、ジャスティン・スミスさんの状態はどう見てもなくなってからしばらく時間がたっていて、助かる見込みがないことを報告したのです。
しかし、同意してくれるであろうはずのコールマン医師から意外な答えが帰ってきました。
この青年を助けようとしても、恐らく無駄な努力におわるでしょう。
しかし我々は彼のためにベストをつくすべきと死の宣告を断ったのです。
スポンサーリンク
治療は徹底的に行われた。決して患者を見放さなかった。
病院に運ばれるまでの間コールマン医師の指示で心臓マッサージがずっと続けられました。
心肺蘇生がジャスティン・スミスが病院に運ばれて2時間もの間おこなわれた。CRP(心肺蘇生法)は2.3分施すだけでもかなり大変処置です。コールマン医師のチームは2時間も行ったのです。
コレがどれだけ常識外の行動かおわかりだと思います。
コールマン医師にこのような行動を取らせた理由とは?これには少し悲しい過去があったのです。
コールマン医師の確信 死ぬときの人間は温かい!
しかしこの人は氷のように冷たい。
この人にチャンスを与える必要がある。
コールマン医師がこのように思ったのは、奇しくもジャスティン・スミスが病院に運ばれた日
2月21日・・・この日は9年前未熟児だったコールマン医師の娘が39日でなくなった命日だったのです。
コールマン医師は何らかの因縁を強く感じたのかもしれません。
無駄かもしれないとおもいつつ救急医療士に蘇生法を施すよう指示をしました。
さて胸部外科医のウー医師はスミスさんの血液が循環し温まるよう、スミスさんにECMO(エクモ)を取り付けました。
スミスさんをエクモにつないだチューブは庭木に水をやるホースほどの太さがある。この機械は普段は危機的状態にある患者の心臓と肺の機能を代替させるために用意されています。
奇跡がおきた
ウー医師はエクモがスミスさんを助けられるとすれば唯一の方法だと思ったものの楽観はできず、回復の見込みは50%と判断、スミスさんの家族にも最悪の事態に備え心の準備をするよう告げた。しかし、90分経つとスミスさんの体が温まり、心臓が自ら鼓動を始めた。
しかし脳機能の心配は拭えませんでした。
間の脳は酸素が4分間送られないと細胞が死に始めると言われています。
スミスさんがどれだけ回復するかわかりませんでした。脳に酸素が長時間供給されなかったことを考えるとスミスさんは植物人間としてしか生きられないかもしれないとも思いました」(カスタルド医師)
15日間昏睡状態が続きました。
スミスさんの腎臓も肺も機能せず、つま先と両手の小指を(凍傷のため)切断しなければならず病院でのケアが必要だった。しかし回復への道が見えてきました。
明るい希望が。
コールマン医師は、記録が示す限り、低体温症を生き延びた人の中でスミスさんがもっとも低い体温を経験した人だと新聞社の取材に答えました。
彼はアイスマンだ。
スミスさんは1年経ってお世話になった医師、看護婦等に彼らの工夫と献身で救われたことを感謝するため病院に戻った。
ペンシルベニア州立大学で学んでいたスミスさんはもうすぐ心理学の単位をオンラインで取り終えるところ。週末にはゴルフをしているそうです。
スポンサーリンク