逆転人生「執念の開発!世界が驚いた 認知症治療薬」
2019年7月29日(月) 22時00分~22時50分
元エーザイ研究者の杉本八郎さんが出演。ゲストの古坂大魔王と何やら関係があるようです・・・チョット想像もつきませんが、放送後のお伝えします。
もともと杉本八郎さんが認知症の薬を開発するきっかけとなったのは、片親で育ててくれた母の認知症がきっかけでした。
杉本さんは9人の子どものうち8人目なので「八郎」と名付けられた。幼い頃の夢は詩人か小説家。それがまさか新薬の開発者になるとは誰が想像したでしょう?
生家が貧しく、高校卒業後すぐに働けるようにという母のすすめで工業高校へと進学。
高校卒業後、当時まだ社員数が1,000人ほどであったエーザイに入社。びっくりですエーザイにもそういう時代があったとは!製薬会社ってやっぱり儲かるのですね。
母は杉本さんたちを育てるのに非常に苦労したのです。
杉本さんは母の日常を見て「一人の女性として、こんな過酷な人生があるのか」と思いました。尊敬していた。それでも明るく好奇心を失わない母でした。
杉本八郎さんは絶対親孝行したいと思い、それがやっと出来るころに母は認知症になりってしまった。
「あんたさん誰ですか」と母が杉本に尋ねた。
ショックだった。
「子どもの八郎ですよ」と答えると、母は「ああー、そうですか私にも八郎という子どもがいるんですよ」と。杉本八郎さんは「よし生涯かけて認知症の薬をつくるぞ」と研究者として覚悟をきめたのです。
認知症薬「アリセプト」開発秘話
アリセプトの研究が進み、臨床試験に入った頃、突然、人事部への異動が決まった。
これは杉本さんの人生では「まさかの坂」だった。
人事部に異動したものの、やはり研究をしたいという気持ちが強く退社するため、他の会社を受けた。
しかし、当時杉本八郎は既に40歳を過ぎていて大学の夜間部卒業の学歴では通用せず、論文も無かったので他の製薬会社に採用されることはなかった。
その後、7年間人事部で仕事を続ける中で、全国の大学を訪問しての採用活動を通じて人脈ができた。
毎月の内半分が出張という過酷な勤務。しかし半分の内勤のときには毎日図書館に通って夜遅くまでかけてアリセプトの論文を書きあげたのだ。
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杉本八郎の経歴
すぎもと はちろう
1942年、東京生まれ。61年、東京都立化学高校卒後、エーザイ入社。
創薬第一研究所所長などを経て2003年定年退職、京大大学院薬学研究科の寄付講座「創薬神経学講座」教授となる。
現在は同研究科の「最先端創薬研究センター」客員教授として、ノーベル賞受賞者田中耕一さんらとアルツハイマー病の新たな診断・治療法研究に取り組んだ。京大発の創薬ベンチャーである株式会社ファルマエイトを04年に設立、現在社長を務めた。
(2012)平成24年3月 京都大学大学院薬学研究科 最先端創薬研究センター 退職
(2012)平成24年8月〜 同志社大学生脳科学研究科 チェア・プロフェッサー(教授)現在に至る
(2014)平成26年6月〜 グリーン・テック株式会社代表取締役社長に就任(兼任)
研究開発歴 (1996)平成8年11月 アリセプト承認・発売(米国)
(1999)平成11年11月 アリセプト承認・発売(日本)
「薬のノーベル賞」といわれる英国ガリアン賞、恩賜発明賞などを受けている。
膨大な費用と時間をかけても成功率は0.02%といわれる新薬開発で杉本八郎さんは2度も成功を収めた稀有(けう)な方。
2度目は製薬会社エーザイ在籍中に開発された世界で初のアルツハイマー病治療薬(商品名アリセプト)でした》
「創薬の達人」と呼ばれる人です。
若い頃はなんの根拠もなく人生で三つの新薬を創(つく)る、と自分で決めていました。
ただの思いつきであった。それは杉本八郎さんがいざ新薬開発に携わったときに、その3回という数字がどれだけ無謀なものかわかったのです。
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アリセプトは今では世界で最も多く使われている治療薬ですが、残念ながら症状を改善したり進行を遅らす対症療法にとどまっているのです。
三つ目はなんとしても根本治療薬を開発したい。そうして人生の夢を果たしたいと考えていた。しかし杉本八郎さんにはそんなに時間が残されているわけではないのだ。
現在の認知症研究は脳内のタンパク質が酵素によって変化してできる「ベータアミロイド」は凝集すると毒性を持ち、神経細胞を死滅させるという仮説に基づいて研究が進んでいる。