藤猪省太選手は天理大学出身。現役時代は対外国人無敗。中量級(1979年は78kg級)で世界選手権4連覇の偉業を達成している藤猪氏だが、その真骨頂は、無差別の全日本選手権での活躍である。
階級が違いますが、ロサンゼルス五輪金メダリスト・山下泰裕が世界選手権3連覇なのに対し、藤猪省太選手は4連覇で、しかも150人以上の外国人選手と戦い生涯無敗。
消えた天才 ★スポーツ史に残る悲劇で消えた天才…衝撃映像蔵出しSP★
2019年3月17日(日) 18時30分~20時54分 TBS系列で放送
藤猪省太(ふじいしょうぞう)元柔道選手が出演します。
藤猪省太選手は度重なる不運に見舞われた選手としても知られています。
この不運はまったく本人に原因があるわけではなく時代のせいといえばいいのでしょうか?
一言で言えば運が悪いと言わざるを得ません。
全盛期には、なんと中量級の体重ながら1973年の全日本選手権で3位に入賞しました。
如何に藤猪省太さんの技術がすごかったか
1973年
4月 日本武道館(東京)
優勝上村 春樹
2位高木 長之助
3位藤猪 省三
諸井 三義
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悲劇の1
1972年 ミュンヘン五輪前 膝の故障で断念
悲劇の2
1976年のモントリオールオリンピックは肘の故障で回復が選考会に間に合わず選考に落選。オリンピックには出場できませんでした。
悲劇の3
この出来事はもちろん日本減退のことなので、藤猪選手だけの不運ではありませんが、
モスクワ五輪のボイコットです。
今度は1980年のモスクワオリンピックでは国内選考会に快勝して代表に内定していた。
金メダル獲得も期待されたが、ソビエト社会主義共和国連邦のアフガニスタン侵攻に抗議するということで日本政府がモスクワ五輪ボイコットを強行、結局幻のオリンピック代表に終わったのです。
悲劇の番外
時代ははるかに後の時代 藤井選手は指導者になっていた。
2013年9月には天理大学柔道部で5月から7月にかけて4年生の男子部員4名が1年生部員複数に対して暴力を振るい、当時柔道部部長であった藤猪省太はしかし、女子柔道強化選手への暴力問題を受けて、暴力問題に本格的に取り組むことになった全柔連にはこの件を知らせず、8月には全柔連の新理事に就任した。
この問題が発覚した9月4日の記者会見では、「部内と学校の中の話で終わると思った。甘かった」という言葉ととともに全柔連理事と天理大学柔道部部長の職も辞任した。
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藤猪省太のプロフィール
■生年月日:1950年5月11日
■出身地:香川県東かがわ市
■審判員資格:国際柔道連盟A級審判員
子供の頃は相撲取りになりたかったらしい。
近所の人や友達と一緒によく相撲をやっていたが、藤猪省太はけっこう強くて年上の人にも勝ったりしていたんで、「相撲取りになりたいな」と純粋に思った。
相撲取りになったら、勉強もせんでええし、お金もうけもできるやろうと思ったそうだ。
子供の頃から腰が強かったのでしょう!
主な戦歴
1970年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 2位
1971年 | 世界柔道選手権大会 中量級(80kg以下) 優勝
1973年 | 世界柔道選手権大会 中量級(80kg以下) 優勝
| 全日本柔道選手権大会 3位
1974年 | アジア柔道選手権大会 中量級 優勝
| アジア柔道選手権大会 無差別級 優勝
| 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 優勝
1975年 | 世界柔道選手権大会 中量級(80kg以下) 優勝
| 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 3位
1976年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 2位
1977年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
1978年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
1979年 | 世界柔道選手権大会 78kg級 優勝
| 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
1980年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
藤井省太の現在
WIKIでは現在は天理大学体育学部教授ということなのですが。
天理大学のホームページには記載がありませんので。
大学は退職されていますね。
今現在はインドネシアナショナルチームの監督をしています。
2013年の天理大学柔道部の暴力問題で全柔連の理事と大学柔道部長辞任以後めっきり公の場には出られなくなりましたが
東かがわ市ふるさと大使に就任
また東かがわ市では、本市の魅力を広く発信してもらうため、市出身または市にゆかりがあり、各分野において活躍されている方に、「東かがわ市ふるさと大使」を委嘱しています。この度、柔道界で、世界選手権4連覇を果たすなど東かがわ市が誇る柔道家、藤猪省太(ふじいしょうぞう)さんをふるさと大使に委嘱することとなりました。
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まとめ
外国人選手に150戦無敗って確かにすごい。
藤猪選手の現役時代は確かに、日本人選手は力技で外人選手に遅れを取っていた時代でした。その次代にあって外人選手に負けなかったというのは、日本人の誇りでしょう。