安田純平の日記を公開経歴や身代金の授受は?【ザ・ノンフィクション】


3月17日(日)ジャーナリストの安田純平さんが
ザ・ノンフィクションに出演します。
なんでもシリアで、3年4ヶ月にわたって拘束された身柄拘束中に綴ったとされる日記が公開されます。安田純平さんは時にナイフを胸につきつけられ、時にかすかな物音も許されずに、身動き1つ、唾も飲み込むこともできない状況において日記を書いていたとは!?

非常に驚かされれました。

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一説によれば、安田純平さん開放で身代金の支払いはあったとされている。

日本政府はテロリスト集団に決して身代金を支払わないスタンスであるため、カタール政府やトルコ政府に協力を要請。事実上、日本政府の代わりにカタール政府が身代金を支払って助けたという「間接的身代金支払い」があったとされている。

日本に帰国後も安田さんは自己責任論のバッシングにさらされてきました。

間接的にテロリスト集団に支援金を渡した
つまりそれは、間接的にテロリスト集団に支援金を渡したことになるのは明白で、テロリストの活動資金として使われることになる。財政難に陥っているテロリスト集団は多いとされており、今回の約3億4000万円の身代金はテロリスト集団にとって「神が与えてくれた助けの資金援助」といえるものであった。

 

しかし安田純平さんは身代金の受け渡しについて疑問を持っている。

日本政府は安田純平さんの妻から生存証明を取るための質問項目を取得していたにも関わらず、解放された後までそれを使用しなかったか、使用したが拘束者には届かなかった。

日本政府は、安田さんが解放されるまでの間、彼が生きているかどうかの確認をしなかった、もしくはできなかったいうことになる。なのになぜカタール政府が身代金を支払って助けたのか?疑問が残る。

 

安田純平の経歴

安田純平(やすだ・じゅんぺい)ジャーナリスト。
1974年、埼玉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、信濃毎日新聞に入社。

在職中にアフガニスタンやイラクを取材。03年に退社し、フリージャーナリストに。中東や東南アジアなどの取材を行う。04年、イラクのファルージャ周辺を取材中、武装勢力に拘束されるが3日後に解放。

07年には、現代の戦争の現場が民間の企業や労働者に支えられている実態を見るため、イラク軍関連施設で料理人として働きながら取材をし、「ルポ 戦場出稼ぎ労働者」(集英社新書)を記す。12年、シリア内戦を取材。15年6月、シリア取材のためトルコ南部から入ったところで武装勢力に拘束され、18年10月、3年4カ月ぶりに解放された。

近著に記者会見の内容などをまとめたブックレット「シリア拘束 安田純平の40か月」(ハーバー・ビジネス・オンライン編/扶桑社)がある。

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安田純平さんが身代金が支払われた可能性について思うこと
安田純平『死んでも書きたい話』・・・有料メルマガ
試し読みより抜粋。

「こんなことやっても日本は絶対に金払わないぞ」
「日本は払う。お前はイラクで拘束されたのに解放されただろ」
「俺がイラクで捕まっていたのはたったの3日間だけだぞ」
「えっ。そうなの」
2016年5月23日、シリア北西部イドリブ県のどこかと思われる民家に監禁されていた私の部屋に、黒い覆面をした二人組が写真を撮影しに来た際の彼らとの会話である。拘束から11カ月もたっているのに拘束者たちがこの程度の認識であることは、私にとって衝撃だった。
2015年6月22日の深夜にシリアに入った私は、正体不明の武装組織に拘束されていた。同年2月、イスラム国(IS)に人質にされた日本人の後藤健二さん、湯川遥菜さんが殺害されており、日本政府が身代金を払わないことが明白であったにも関わらず、彼らは私を人質にした。
拘束当初、スパイ容疑をかけられていた私は、過去の仕事内容を説明する必要があり、その中で私が2004年にイラクで拘束された件を知った彼らは、「日本政府は拘束された人間によっては、もしくは、拘束した組織によっては金を払う」と考えた。私が2004年当時、「人質」と報道されたからだ。
2004年4月、イラクの首都バグダッドの西方約60キロのファルージャを米軍が包囲攻撃を行い、数百人規模の死者が出ていた。その周辺部分を探ろうとしていた私は同14日、バグダッドの西20キロのアブグレイブで拘束された。
拘束場所には近所から子どもたちが見物に来たほか、当初は布で顔を覆っていた一部の拘束者たちも最終的には全員が素顔をさらすなど、「武装組織」というよりは地元の自警団という印象だった。暴行や虐待といったものはなく、同17日の朝に解放された。
この件は、拘束翌日には日本メディアによって「人質」として報じられた。「どのような要求があったかは不明」という表現がされていたが、「要求があった」という根拠は何も示されていなかった。

このころ、ファルージャで日本人3人が人質にされ、「3日以内に自衛隊をイラクから撤退させなければ焼き殺す」と脅す動画が報道されて、日本国内は大騒ぎになっていた。私と一緒に拘束されたがすぐに解放された通訳から私が拘束されたと聞いた日本メディアは、同様の事件と判断し、事実関係が何も分からないまま「人質」と報道したわけだ。

大辞林によれば、「人質」とは「要求実現や自身の安全のために、脅迫手段として拘束しておく人」のことである。しかし、私が解放されるまでの間に動画などは公開されておらず、要求があったという形跡も、身代金など何かの対価を渡したことを示す事実も今に至るまで何も出てきていない。

拘束直後、座っている私の後ろに彼らが立ち、私のビデオカメラで動画を撮られたが、この映像は公開されていない。覆面をしていない彼らの顔を私が拘束前に撮影しており、彼らは「テープはカメラごと破壊した」と言っていた。

私の身柄と身代金など対価を交換するために絶対的に必要となる生存証明も、拘束されている間に一度も取られていない。生存証明がなければ、生きているかどうかも分からないまま一か八か金を払うことになってしまう。

生存証明で重要なのは、いつの時点まで生きていたか、である。単に動画や写真を撮ったり、個人情報を書かせたりしただけでは、いつの時点にそれが行われたのか証明できない。
例えば、私しか答えられないような質問を家族に書かせて拘束者に送り、返ってきた私からの回答が正しいと家族が認めれば生存証明になる。拘束者がいつ受信し、いつ私が回答したかは証明できなくても、少なくとも質問を送った時点では生きていたことは分かる。また、直近の新聞を持たせて写真を撮れば、その発行の日付までは生きていたことになるし、最近報道された事件の内容などを私に言わせて動画を撮れば、その事件発生までは生存していたことになる。

しかし、イラクで拘束されていた間にそうした類のものは一切取られていない。
先に人質になっていた日本人やその家族への激しい批判が巻き起こっていた最中に、身代金を払ってでも私を救出すると決定し、相手側と金額などの交渉をして、生存証明がないにも関わらず金を渡して身柄を引き取る、といったことが3日後に解放されるまでの間に行われたとは考えられない。

自国民がISに拘束されたフランスやスペインなど欧州諸国は身代金を払ったと報じられており、人質自身もそれを否定していない。これらの国々は、身代金を払わなければ殺害するIS相手にでも何カ月も値引き交渉を重ね、その間に生存証明を何度も取ったうえで解放させている。日本政府が、生存証明も取らずにたった3日で金を払っていたとは思えない。

解放直後、「日本政府はどのような対応をしたのか」と在イラク日本大使館の上村司・代理大使に尋ねると、「従来からのネットワークを使って、拘束の事実があるかどうかの確認をしていたという範囲だった」と答え、身代金の支払いを否定した。拘束者からの声明もなく、3日間のことであり、これが妥当だろう。

私は10年後の2014年4月、アブグレイブ出身の高齢のイスラム教スンニ派法学者にインタビューを行い、「日本人をスパイ容疑で拘束したが、スパイでないと分かったので丁重にもてなして解放した、と報告を受けていた」との証言を得ている。

このころISがファルージャを支配し、アブグレイブにも出没しており、住民の大半は避難している状況で自ら現地入りするのは危険だったため、イラク人の友人を送り込んで間接インタビューを行った。友人の安全を考えて日本メディア向けの取材であることや質問事項は事前に知らせておらず、取材は顔を隠しての匿名が条件だった。

10年の間に、激しい反米闘争を行っていた一帯のスンニ派部族は反アルカイダで米軍と協定を結び、その後、米軍はイラクから撤退していた。現地のスンニ派住民にとっての問題はISとシーア派中心のイラク政府であり、この法学者が今さら嘘を言う必要はなかっただろう。

当事者そのものに会うことができなかったのは大きな心残りだったが、10年間ずっと心の中に引っかかっていた事件の事実の一端に触れることはでき、自分なりに納得はできた。しかしこれをメディアで発表する機会は得られず、「人質」報道を覆すリポートはできなかった。日本メディアは事件後、次第に「人質」ではなく「拘束」と表現するようになっていたが、「人質だった」という“デマ”は消えることはなくネット上に残ったままだ。

2015年6月にシリアで拘束された際、彼らに対しこれらの説明をしたが、「大金が入る」と思い込む彼らには通じなかったようだ。「俺たちはISと違ってよい組織だから日本は払うに違いない」という彼らに、「世界中の人間がお前らをISと同じだと考えている。

人間を人質に取って金を要求するという行為が同じだからだ。ISに払わない日本政府がお前らに払うわけがない」と何度も言ったが、食い物を前によだれを垂らす飢えた野良犬のような状態の彼らに何を言っても無駄だった。

拡散された事実上の“デマ”が、シリアで本当の人質にされる大きな要因の一つだったことは間違いない。
2016年5月23日、撮影に来た2人組のうち英語のできる男にも同様の説明をしたが、初めて私の前に来たこの男は「イラクで人質だった日本人」ということしか知らされていなかった。

「たった3日だった」と私が言うと驚いてしばらく無言だったが、気を取り直したのか、オレンジ色の服を出して「すぐにこれを着ろ」と言った。

オレンジ服といえば、武装組織アルカイダやイスラム国に人質に取られた人々が着せられて脅迫ビデオを公開される、中東報道ではおなじみである。そうした動画を公開された人質はほとんど殺害されている。

その服は子ども用のTシャツで、前面に大きな絵柄のプリントがされており、フードまでついていた。彼らがフードを切り取ったところ、襟元が大きく広がってしまった。そのため、Tシャツを裏返したうえで前後逆に着せられた。子ども服は、運動不足で痩せた私の体にも小さかった。

紙とペンを渡され、「助けてください。これが最後のチャンスです」と日本語で書くよう命じられた。「そんなのは恥だから嫌だ」と訴えたが、「強制されただけだということくらい誰でも分かるだろ」と言われただけだった。

抵抗しすぎると拷問や殺害の恐れがある。文章の中に暗号を入れることも考えたが、写真がネットなどに公開されるとしたら、それを見た日本人が暗号の意味をツイッターなどに書き込み、奴らにバレてしまうかもしれない。それは極めて危険だ。

日本側に送るためとしてこれ以前に書かされた文書に「放置しろ」という内容の暗号をすでに入れており、今回はおとなしく従うことにした。拘束から11カ月たっても身代金を払う動きを見せない日本政府が、今さらこの写真に反応することはないだろう。子ども用のTシャツを使うなんて、ただのパロディだと思われるに違いない。無理をして抵抗する場面ではないと判断した。

 

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男は、書いた文字を見て「これが漢字か?」と言った。私が書いた内容を確認するためにわざわざ日本語を勉強したのだ。暗号を入れられる可能性を彼らも想定している。やはり無理は禁物だ。とにかく生きて帰らなければならない。

部屋の壁の前に紙を持って立たされた。撮影は、拘束時に没収された私のカメラ、リコーの「GR DIGITAL 3」で行われた。それもまた屈辱だった。写真を見た私の家族らが深刻にとらえないよう撮影の際に笑い顔をしたが、「笑うな。怖いふりをしろ」と言われ、逆に思いっきりしかめっ面にした。

これが、2016年5月29日に報道された写真だ。
「日本人2人がISに殺された後、日本政府の支持率が上がった。俺が自分でシリアに来たのだから、悪いのは俺だと日本人は考える。日本人は俺に自殺してほしいんだよ。俺が国に迷惑をかけたと思っているんだから。だから政府は絶対に金など払うわけがないし、気にもしない。それが日本だ」

撮影後、改めて男に訴えた。日本政府が金などを払わないということを理解させるためには、多少大げさであっても分かりやすく、印象的な表現をしなければならない。2018年の帰国後、「殺されればよかったのに」などとフェイスブックでメッセージを送ってくる人もいるが、実際は暖かい言葉をかけてくれる人が圧倒的に多い。しかし、この場面で「いろいろな人がいる」などと細かい説明をしても意味はないのだ。

彼らは「我々はISではない。ISとは違う」と当初から強調し、ISへの嫌悪も口にしていた。しかし、身代金を払えばISでも人質を解放するのだから、ISでないことを証明するためには、私を無償解放するしかない。「ISではないのなら俺を帰せ」と、私はそれまでにもたびたび彼らを挑発していた。

「日本は金を払わない。お前らは俺を殺すしかない。お前らはISではないのだろう? だが、最終的に殺せば結局はISと同じだぞ」

このときもあえて突っかかると、男は「殺さない。だが我々のボス次第、お前の政府次第だ」とニヤリとして言った。
「日本は払わない。金を払うとしたらISだけだ。俺を殺すか、ISに売るかしかない」となおも食い下がると、男は「それは殺すより悪いだろ」とつぶやき、去っていった。

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