8月16日(火)徹子の部屋
ABC系列 12:00~
中村吉右衛門さんがゲストです。
二代目中村吉右衛門さんと九代目松本幸四郎さんは実の兄弟です。
但し中村吉右衛門は小さいときに養子にいったので、実の兄弟ほど密接な時間を過ごしていません。
≪中村吉右衛門が養子に行った理由≫
少し話がややこしくなりますが、
中村吉右衛門の母・正子は初代中村吉右衛門の一人娘であり、初代吉右衛門は一人娘の正子に婿養子を取ろうと考えており、なかなか嫁に行くことを許しませんでした。
理由は家系が途絶えてしまうから、正子はどうしても八代目松本幸四郎と結婚したかったので、結婚する際父と約束しました。正子は「男子を二人は産んで、そのうちの一人に吉右衛門の名を継がせます」と。その通り二人の男の子が生まれ、その約束に基づき、次男の久信は初代吉右衛門の養子となったのです。家系を守ることってすごいことです。
やはり歌舞伎の家系は普通の家と考えたらいけないのですかね。
中村吉右衛門の経歴
二代目中村吉右衛門
生年月日:1944年5月22日(72歳)
出身地:東京都千代田区
血液型:B型
2011年 – 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
松貫四(まつかんし)名義で歌舞伎の脚本も手掛けるほか、歌舞伎以外の舞台公演、テレビドラマ、映画にも俳優として出演しています。
家系:父:八代目松本幸四郎
母:藤間正子
兄:九代目松本幸四郎
妻:波野知佐
甥:市川染五郎
姪:松たか子
中村吉右衛門の歌舞伎のあたり役
「仮名手本忠臣蔵」
「勧進帳」
「近江先陣源氏館 盛綱陣屋」
「極付幡随長兵衛」
「ひらかな盛衰記 逆櫓」
「絵本太功記 十段目尼崎閑居の場」
「熊谷陣屋」
「平家女護島 俊寛」
「義経千本桜 碇知盛」
「伊賀越道中双六 沼津」
「松浦の太鼓」
「二条城の清正」
「天衣紛上野初花 河内山」
「時今也桔梗旗揚」
「菅原伝授手習鑑 寺子屋」
『傾城反魂香・吃又』
『籠釣瓶花街酔醒』(籠釣瓶)
「祇園祭礼信仰記 金閣寺」
「奥州安達原 三段目 環宮明御殿(袖萩祭文)」
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中村吉右衛門のテレビドラマ
≪中村吉右衛門のあたり役≫
1989年、池波正太郎原作『鬼平犯科帳』4度目のテレビドラマ化にあたっては、かねてより原作者から直々に出演依頼があったものの長い間固辞し続けていたが、実年齢が平蔵と同じになったこともあり満を持しての出演となりました。
火付盗賊改方長官・長谷川平蔵役として主演。同年から2001年まで毎年、9シリーズと数本のスペシャル版を製作、その後2001年のスペシャル版放映もあわせ、全138本の長期人気シリーズとなり、吉右衛門にとって鬼平役が文句なしの当たり役となった(実父である八代目幸四郎も、初代版鬼平犯科帳で長谷川平蔵を演じています。こちらの配役も素晴らしかったです。
≪長谷川平蔵は八代目松本幸四郎の風貌をモデルにした?≫
ちなみに池波正太郎は平蔵を描くにあたり八代目幸四郎の風貌をモデルとしたという逸話がある。また、吉右衛門も初代版では平蔵の息子、辰蔵を演じている)。
2003年にはテレビ『忠臣蔵~決断の時』で、長年のラヴコールに応えてテレビで初めて大石内蔵助を演じ、重厚な演技を見せました。
中村吉右衛門の名言
芸を確立させていくのは
まずは真似から入るしか
ありません。ただ、そこで止まったら
単なる物真似で
終わってしまう。真似ができたところが
スタート地点。
ある役者が練って練って
作り出した芸を次の代が真似て
そこでさらに練って
自分らしさをつけ加えて
それが代々続いていく。常に磨かれていかなければ
伝統ではない。
これは守破離の事を言っているのですね。
ものまねではいけない。特に芸事はオリジナリティーが必要でしょう。
二代目中村吉右衛門と八代目松本幸四郎との不仲説
ネットなどで不仲説がまことしやかに流れています。しかし中村吉右衛門は小さい頃に中村家の養子になっています。だから実の兄弟でありながら、他の家で育っているのでそれは実の兄弟のようにはいかないです。
顔もそんなに似ていないかもしれません。仲が悪いのでなくやはり別の名跡をついでいるので、当たり前かもしれませんね。
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