福澤朗(フリーアナウンサー)は劇団研究生出身!経歴や身長!レギュラー番組は?

7月20日(水)徹子の部屋

12:00~ テレビ朝日系で放送

福澤朗(ふくざわあきら)さん フリーアナウンサーが登場します。

昭和最後のアナウンサーを自認しています。

 

年令が少し若いですが、プロレス中継をしていたこと局は違いますが、古館伊知郎とキャラがダブっています。本当にアナウンスの手法は似ていると感じます。

身長は意外に高い181cm パッと見170cm台しか見えません。

 

福澤朗のプロフィール

生年月日:1963年9月14日(52歳)

出生地:東京都新宿区に生まれる。

1982年早稲田中・高等学校卒業

1988年早稲田大学第一文学部哲学科教育学専修

早稲田大学在学中に在学中に俳優への道を模索し、1984年に演劇集団 円の研究生となりますが、最終年の団員昇格選考で落選し役者への道を断念します。

福澤朗はなんとなくマスコミ志望で、高校から推薦で、著名人を多く輩出している一文に入学。もう大丈夫と、大きな淡い幻想を抱き、ホームラン打つぞ! と思 いっきりバックスイングを取って4月を迎えた。

でも、一般受験した人たちは精神的・肉体的にお疲れで、とりあえず、入ったらノンビリしようという人が多 かったそう。
1年が経ち、あまりにやる気の感じられない学生と、やる気はあるんだろうけれど覇気を感じない先生たちに囲まれて授業を受けることに嫌悪感を覚えるようになり、このままでは駄目になる。何とか大学という空間から抜け出さなければと切望するようになったそうです。
2年の冬から学外の劇団円の研究生に。

何百人もオーディションを受けて50人しか受からず、2年目に進めたのが25人、3年目には12人。

ところが、最 後、正劇団員決定で不合格。背の高さや声と顔の大きさが舞台向き、と自信満々で周囲の評判も良く、間違いなくなれると思い込んでいたそう。

3年間何だった のかと、人生最大の挫折を経験。結局、年間授業料数十万円を研究生から集めて劇団経営の一助とする制度だと知り、恨みが残ったと告白しています。
新卒扱いになる限度の留年は2年間。家庭の事情で絶対卒業せねばならず、6年生として大学に戻り、特別認定で土曜日までビッシリの科目を履修しやっとの思いで卒業したようです。

 

演劇集団円は1975年設立の歴史のある劇団で

かっては

 

渡辺謙(2002年退団→ケイダッシュへ移籍)

 

西田健(イイジマルームに経てサーブプロモーションへ移籍後現在はフリー)

塩見三省(2015年退団→アン・ヌフ所属)

等も所属していました。

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円・演劇研究所出身の俳優

石田純一(アクト青山ドラマティック・スクール→スカイコーポレーション所属)

エド・はるみ(NSC→よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)

 

豊川悦司(劇団3○○→アルファーエージェンシー)

等の有名俳優が在籍していました。

 

 

 

1988年 日本テレビに入社。
在局中はアナウンサーとして、数々のヒット番組に出演。
また「ジャストミート」や「ファイヤー」等の流行語も生み出した。2005年7月 同局のチーフ・アナウンサーを経て、フリーアナウンサーに。

 

『ジャストミート』局アナ時代日テレのプロレス中継時に

『全日本プロレス中継』の実況に抜擢され「ジャストミート!!」(スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットや小橋建太のムーンサルトプレスや川田利明の顔面蹴りが決まった時に、出たものです。

いわば決まりこと、

「ファイヤー!!」は同じく故三沢光晴のフライングエルボーが決まった時に発した言葉です。

 

現在のレギュラー

 

『真相報道 バンキシャ!』

日テレ系 サブMCは夏目未来です。日曜日18:00~
『開運!なんでも鑑定団』

 

福澤朗の講演テーマはこんな感じ

福澤朗は講演活動をしています。

コンテンツはこんな感じです。

講演依頼.com

 

人は「チャレンジ」を通して成長し、達成感や満足感、喜びを感じていくことを、長年、「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「高校生クイズ」の司会を務めて感 じてきました。「ジャストミート」や「ファイヤー」という流行語も、この思いがあってこその熱い気持ちから生まれた言葉です。今、混沌としたこの時代に チャレンジし続けるためのコミュニケーション術をお教えいたします。番組を通して出会った、話題の芸人さん達の土壇場に見せる一瞬の集中力やプロとしての 仕事、努力等、皆さんが仕事や勉強、それぞれの課題に対してためになる裏話もご紹介します。

 

まとめ

福澤朗の就職活動

大学を6年間行ったため就職には不利であった。

自分を落とした劇団にもすごい恨みがあった、

だからやたら若い頃は叫んでいたというくだりは面白いです。

福澤朗さんには、そのマイナスエネルギーをプラスにかえる力があったのですね。

 

 6年生の4月、何とか就職したいと「優5つ。つぶしの効かない文学部。しかも劇団研究生で2留」の三重苦を背負って就職課へ相談に行くと「高望みはしな い方がいい。今月中に資料請求を100社位にした方がいいんじゃないの」と。

これにはムッとしましたね。口には出さなかったけど、二度と世話になるかと。 結局、自力で情報収集し最初に受けた日本テレビから内定が出て、フジテレビとは最終面接が重なり日本テレビに決定。就職課から来た「内定が決まったら教え てください」というハガキは、ゴミ箱へ捨てました。
やる気のない学生と覇気のない先生とそれを許そうとする大学という組織に対する恨み、就職課への恨み、私の首を切った劇団研究所に対する恨み、この3つ のトロイカ体制で、就職後5、6年の仕事をすべて、見返してやりたいという恨みをエネルギーに変えてやってきた。若い頃の僕は、やたらと叫び続けていて、 表面的には元気のいい人だと思われていたかもしれないけど、裏には根深いものがあったんです。こんなヤツに負けられないと、その恨みを次の仕事のエネル ギーにするのです。恨みは本当に人生のガソリンとなる。大切にしてください。

 

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