9月16日(日)「六本木ヒルズに入っているのに知らない会社」
六本木ヒルズ34階のブレイン株式会社
社長の名は天毛伸一氏
もちろんがっちりマンデーで紹介されるので儲かっていなければならない会社です。
ブレインはプロダクトデザインを手がける会社です。
2015年には社員わずか30名の日本企業「blayn(ブレイン)」がドイツのエッセンで開催されたRed Dot Awardで「ベスト・オブ・ザ・ベスト」を受賞しました。
Red Dot Awardは、米国のIDEAアワード、ドイツのiFアワードと並ぶ、世界3大デザイン賞のひとつです。
2015年度は、世界56ヵ国1994の企業やデザイナーから、合計4928点の応募があり、うち1240点が受賞、さらにそこから81点が“Best of the Best”に選定され、6月29日にドイツのエッセンにて授賞式が開催されました。
国内外でほとんどの人が初めてその名を耳にするような会社が、どのようにして世界に名だたる大企業と肩を並べることができたのでしょう。
ブレイン株式会社天毛伸一社長の経歴
兵庫県伊丹市生まれ。兵庫県立伊丹高等学校を卒業後、大阪市立大学商学部へ進学。バックパッカーとしてアジア諸国、日本国内を旅しました。
大学卒業後、単身渡米。ロサンゼルスに10ヶ月間滞在。アメリカで同世代の若者達がつぎつぎと起業していく姿を目の当たりにし、自身も世界に通用するメーカーを作りたいと決意します。
帰国後、資本金30万円にて個人事業主として起業。2003年、ブレイン株式会社を設立。開発した製品は、国内のデザイン賞を始め、世界最高峰の国際的デザイン賞を多数受賞。プロダクトデザイナーとしても評価が高い人物。
2018年1月、同社関連会社である法人向けメール配信サービスを提供するブレインメール株式会社を、株式会社ラクス(東証マザーズ:3923)に15.5億円で事業譲渡。本社は東京都港区、六本木ヒルズにあります。
受賞歴
- IF DESIGN AWARD 2018
- German Design Award 2016最優秀賞(ドイツ)
- Red Dot Design Award 2015最優秀賞(ドイツ)
- GOOD DESIGN AWARD 2014
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ブレイン株式会社の評判は?
役職がないためフラットな関係と協力し合える社風があります。売上ノルマがなく、すべての職種の人に共通して目標として契約数を純増を掲げています。仕事を楽しんで取り組んでいる人が多く、働きやすい環境です。
ベンチャー企業であり事業が急成長しているため、教育のマニュアル化などは遅れています。徐々に整備していますが、現場での知識獲得が中心となっています。ただ成長するまでは先輩社員が面倒見ますので問題はないかと思います。
営業部門の売上ノルマがない。
事業内容は
ブレインは2001年に、現在で言うところのクラウド型ソフトウェアの会社としてスタート。主たるサービスである法人向けのメール配信部門で契約社数6700社(2015年7月末現在)2018年事業売却。
5年連続シェア1位を誇る、業界ではかなり名の通った会社。しかしハードウェアの分野には、進出してわずか6年目の新顔です。
そんなソフトウェア会社がPOSレジという、異分野のハードウェア開発に着手したのは2012年のことです。天毛伸一社長によればハードへの参入は「いわゆる多角経営の一環ではない」のです。
学生時代には世界放浪し
「自分もいつか世界に通用するメーカーを立ち上げ、100年も残るようなを創りたいと思うようになったんです」
そう考えていた。
POSレジ開発のきっかけは、知人が経営する飲食店を訪れたときでした。
「(POSレジが)20年前となにも変わってないことに気づいたんです。これだけテクノロジーが進化しているのに、昔ながらの、台形の大きくてダサいレジを使っているのを見て、『これだ!』とひらめきました」
一般的なPOSレジは一式導入するのに150万から200万円ものコストがかかる。驚きだった。これでは個人商店や小規模店舗が導入するには負担が大きすぎる。
しかも、レジメーカーは大手数社がシェアの8割以上を安定的に占めていて、これでは価格競争も起こらず、最適化が進まないのは当たり前だ――天毛社長はそこに商機を見出しました。
「先行企業を圧倒する低価格とデザイン、そして、コンパクトさを兼ね備えた“まったく新しいレジ”が誕生しました。」
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天毛伸一社長の著書
独立不羈(どくりつふき)
1995年、阪神と淡路を襲った巨大地震――。
ある日とつぜん、なんの前触れもなく、人生の幕を降ろされた多くの人たちがいた。人の命の有限性と儚さを、目の前に突きつけられた。大学は社会に出るまでの時間稼ぎ。そんな甘えた考えは捨てざるを得なかった。
けれども、自分が一体なにをすべきかわからない。悶々とした日々を送る中、ひとりの親友がそれを見つけるきっかけをくれた。そのきっかけとは、誰にも頼らず己の直感だけに従って行動する「ひとり旅」だった。
時代はインターネットの黎明期を迎えていた。日本の未来が見えるタイムマシーンと呼ばれるアメリカで「インターネットが世の中のすべてを根こそぎ変える」ことを確信。帰国後、1年間の期限付きで大阪のWEB制作会社に潜り込み、そこで後に師と仰ぐことになる人物と出会い、彼の元、死に物狂いで働きながら一からビジネスのノウハウを吸収。「泥水をすすってでも這い上がる」覚悟で起業に向けての準備を着々と進めていった。
そしてついに念願の起業を果たしたが、その実態は単なる個人事業主。かつての勤め先のオフィスに机を置かせてもらい、そこに引いた電話一本だけで営業を始めた。資金はわずか数カ月分――。
社員ゼロ、顧客ゼロ、売るモノもサービスもない、まさに徒手空拳、ゼロからのスタートだったが、ついに独自ブランドによる自社製品が完成。しかし自分の意に反して売り上げゼロの日が何ヶ月も続く。希望に満ちた船出だったが現実は厳しく、壁にぶち当たる度に跳ね返され、何度も叩きのめされた。そんな明日も見えない状況の中、若干20歳の天才プログラマー、礼との運命的な出会いを果たす。
メーカーとしていよいよ本格的に動き出そうとしたある日、IT界の巨人と称される大企業からあるサービスについて問合せが入った。オフィスは、当時話題になっていた六本木ヒルズ。大きな期待を胸に、意気揚々と乗り込んだが、話はM&A、買収のもちかけだった。提示された条件と金額は、20代の青年にしてみれば断るには魅力的だった。サラリーマンの生涯賃金プラス将来の身分保障。
――売却すべきか。
――拒絶するか。心が大きく動いた。
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