藤田哲也(Mrトルネード)の経歴と業績アメリカで尊敬される理由

藤田哲也博士は気象学にノーベル賞があれば間違いなく受賞していたと言われる人物。

藤田哲也(気象学者)。気象学で世界を救った男。
藤田”テッド”哲也と自称した。竜巻の強さの基準「Fスケール」を考案した学者

1975年12月、イースタン航空66便の墜落事故の究明に関与。
午後4時01分、滑走路最終アプローチで墜落。115人が死亡。
その5分前に着陸した便で、滑走路を変える様管制塔にリコメンドしていた。だが当時風速は7m/秒であり特に異常ではなく、それは黙殺されました。
事故直前に起きた風の急変。
元日航機長の上田恒夫。藤田と親交があったが、終戦当時(1945/8月)長崎に居たのです。

藤田哲也博士は32歳の時に渡米。きっかけはゴミ箱の中。
背振山の観測所で藤田が発見した雷雲の中の下降気流。論文に発表したが、日本では注目されなかった。当時気象庁も下降気流を観測しており、門外漢の話としての認識。当時藤田は物理学教授だったが、気象学は金が掛からない、として選択していました。
観測所隣りの米軍レーダー基地のゴミ箱から、知人が論文を拾って来て藤田に教えました。その内容は藤田の考えと同じものであり、シカゴ大 学部長のバイヤース教授宛てに自分の論文を送ったところ、ほとんど金を掛けずに論文を導き出した藤田に驚嘆し、彼から渡米を促されたのです。

藤田は航空機事故の謎と向き合っていた。無線通信の分析(墜落前の18分)。事前の兆候なく突然起きた。風というより、衝撃波に近い流れ。
1974/4月、史上最大の竜巻が発生。木が放射状に倒れている写真。藤田は1945年、長崎への原爆投下の直後、母校から派遣されて調査を行っていた。爆心地を中心に木がなぎ倒されていました。(克明に記録)。
藤田は、事故の元となった流れを「ダウンバースト」と名付けたました。

向かい風で機首が持ち上げられ、下降気流で頭下げ→追い風で失速。だが賛同する者はほとんど居なかったのです。当時論文は、査読を受けて反論への回答という経緯を経て公開されるが、その煩雑さを嫌って自主出版。結局注目されなかったのです。

ダウンバーストの存在が証明できなかったのです。

しかし、1台のレーダーが故障した事から藤田がレーダーを上向きにする事を提案。それによりマイクロバーストが吹き下ろす瞬間が捉えられた。一連の調査でマイクロバーストを200以上観測。
その最中にも航空機の墜落事故は2回起き、藤田は注意を呼びかけた。パイロットは藤田を支持し、訓練やシミュレーターに対策を組み込んで行ったのです。
その後航空機に警報装置の追加、探知システムの追加等で、マイクロバーストの事故は過去のものとなったのです。

ダウンバースを原因とした航空機事故を未然に防ぐ技術を発見したこと

竜巻のシステムを解明し、FOUJITAスケールを開発したこと

この2つでアメリカで藤田哲也が尊敬される理由です。

 

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藤田哲也の経歴

純粋な日本人ではありますが、アメリカに招かれた気象学者

1920年福岡県北九州市生まれ。1998年病没。
明治専門学校(現在の九州工業大学)を卒業後、東大で「台風の研究」の学位を取得。その後、理学博士として、シカゴ大学のバイヤース教授に認められ、渡米。竜巻やダウンバースト現象などの研究で知られ、「ドクター・トルネード(竜巻博士)」と呼ばれ尊敬を集める。
竜巻の大きさの基準として博士の考案した「F(フジタ)スケール」が用いられている。

 

略歴

1920 ・福岡県きく郡(現在の北九州市)に生まれる
1939 ・小倉中学を卒業
・藤戸鍾乳洞の発見
1943 ・明治専門学校(現在の九州工業大学)機械科卒業
・明治専門学校助手に着任
・明治専門学校物理学助教授
1945 ・明専より長崎・広島の原爆被害の調査に派遣される
1947 ・背振山の雷雲調査(下降気流の発見)
1951 ・東大で正野重方教授に日本の台風のマイクロ解析を 博士論文として書き上げることを勧められる
1952 ・博士論文を東大に提出。その後、シカゴ大学バイヤース教授に招かれ、客員研究員として渡米。
1956 ・シカゴ大学メソ気象学研究室長に着任
1957 ・ファーゴ竜巻の調査
1965 ・シカゴ大学教授に着任
1968 ・アメリカ市民権取得
1971 ・竜巻の被害の程度を表す「藤田スケール」を考案
1975 ・ニューヨークでイースターン航空機事故(ダウンバーストが原因)。
この事故調査からダウンバーストの研究が本格化する。
1976 ・下降噴流(マイクロバースト・マクロバースト)の発見
1979 ・ドプラーレーダーにより下降噴流が探知できることを発見、立証
1991 ・シカゴ大学名誉教授に就任
1998 ・11月19日、病気のため死亡

 

≪主な受賞歴≫
1959 日本気象学会岡田賞
1967 アメリカ気象学会マイシンガー賞
1988 アメリカ気象学会応用気象賞
1990 日本気象学会藤原賞
1991 勲ニ等瑞宝賞

 

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