川崎栄子は脱北者でNGO「モドゥ・モイジャ」代表団体を作った理由は?


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3月7日 橋下✕羽鳥 で川崎栄子さんが出演します。

 

川崎栄子さんは脱北者団体のNGO「モドゥ・モイジャ」の代表をつとめています。

モドゥ・モイジャは日本語でみんな集まれと言う意味。

この団体は脱北者で現在日本に住んでおられる川崎栄子さんが中心に成って作られた組織です。

川崎栄子さんは地上の楽園て呼ばれた在日韓国人の帰還事業で北朝鮮に渡った

日本に帰ったのは2003年の頃です。

 

「モドゥ・モイジャ」NGOとはどういう組織?

貧困、飢餓、環境など、世界的な問題に対して、政府や国際機関とは違う ” 民間 ” の立場から、国境や民族、宗教の壁を越え、利益を目的とせずにこれらの問題に取り組む団体のことです。
NGO (エヌ・ジー・オー)とは、英語の Non-governmental Organization の頭文字を取った略称で、日本では「非政府組織」と訳されています。 NGO という用語は国連の経済社会理事会から生まれてきたという背景があり、各国政府代表者と区別する意味で、「 Non-governmental (政府でない)」が使われました。
NGO には、途上国の貧困問題に取り組む国際協力 NGO や地球環境問題に取り組む環境 NGO 、他にも平和協力や人権問題に関わる NGO など関わる問題ごとに役割が異なります。

 

会の設立目的は7点かあります。

 

1)1959年12月14にちから1984年まで行われた(帰還事業)によって日本から北朝鮮へ送り込まれた在日朝鮮人と日本国籍を持つその配偶者たちと子供たちが北朝鮮へ行って遭遇した状況を、日本をはじめ国際社会に知らせ、彼らを救出するためにより多くの協力を得るための働きかけをする。

2)日本国籍所有者の速やかなる日本への帰国と在日朝鮮人だった人々の自由往来を実現するために拉致被害者家族の人たち、北韓人権市民連合、HRW、アムネスティーなど各人権団体の協力の元に国連、日本国会をはじめ各議会に問題解決を要請する。

3) TV,新聞、雑誌をはじめあらゆるジャーナリストの協力を得て彼らの救出を国際的な流れにするため努力する。

4)脱北者をはじめ北朝鮮から日本に来た人たちに対する日本語教育、子女たちの各科目別学習指導、社会適応教育、職業紹介、老人介護対策など彼らが日本で暮らしていくためのあらゆる援助をする。

5)脱北者たちを近未来の朝鮮半島を担っていける人材に育成するために努力する。

6)争いのない社会、話し合いによる平和の構築のために力を尽くす。

7)会員は民族、国籍、宗教別にこだわらず、又朝鮮半島の北と南を問わずに誰でも参加して明日の地球規模での平和を目指して努力する。

これらの事を実現するために調査、要請、講演、集会などあらゆる方法を講じる。

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モドゥ・モイジャ 活動の趣意

2014年2月7日の国連から「北朝鮮人権報告書」の発表を受け、私たちは北朝鮮人権問題を研究、行動すべく、2014年11月14日にNGOモドゥモイジャを結成して今日活動しています。

2015年1月15日には、私 川崎 栄子をはじめ11名の脱北者が日本弁護士連合に「人権救済申立書」を提出し、93340人に及ぶ「北朝鮮帰国者」とその家族の人権を回復し、彼らの日本への自由往来の実現のために果敢に活動しています。

 

川崎栄子のプロフィール

1942年07月11日、京都府久世郡久御山町で在日2世として生まれる。パク ジョンホ(朴 鐘鎬)は、韓国キョンサンナム道、母ジョン ジョンイム(鄭 正任)は、韓国ジョルラナム道の出身だった。

戦後日本に残った在日朝鮮人たちの例にもれず家庭は貧しく、不安定な日々が続いていた。 ただほかの在日と違っていたことは、父母がとても仲が良く貧しくとも幸福な我が家という平穏な家庭環境だった。

地元の小中学校に通ったが、中学卒業を控えて家庭の経済事情が悪化し、高校進学をあきらめなければならない状況になった。 その時、常日頃父が言っていた。

「貧乏は恥じゃない」という言葉は嘘だと心の中で激しく反発した。父の言葉に反感を持ったのは初めてだった。

2月のある日、家に訪ねてきた朝鮮総連活動家の勧めで京都朝鮮人中高級学校高級部の入学試験を受け、トップの成績で通過した結果「特待生」として高校生活を送ることになった。

学校側からは授業料の免除だけではなく教科書も一切無料で支給された。 その頃日本は在日朝鮮人の北朝鮮へ帰国を実現するための運動が展開されていて朝鮮総連は連日大会や集会を繰り広げていた。

一方、日本政府も国会から地方の末端自治体まで賛成議決をし、自由党、社会党、日本共産党など各政党、日教組、全労連、婦人団体、青年団体なども活動してまさに日本国中、連日お祭り騒ぎが続いていた。

インドのカルカッタで日朝両国赤十字社の間で帰国協定か調印され、資本主義から社会主義への民族の大移動と言われた帰国事業が始まった。

1960年高校3年生で17歳だった本人も帰国船に乗った。 着いた所はビックリ仰天するようなところだった。 朝鮮総連はすべての自由が保障されていると確言していたのに、そこはすべての自由が認められない人権不毛の地だった。

北朝鮮政府の政治には賛成も協力もできないと、いち早く決心した本人は大学の選考を工学系に変更し、彼らから命を奪われないために一切字を書かなかった。

 

NGO「モドゥ・モイジャ」作った理由

キム イルソンの死後、大量餓死の時期が訪れ、北朝鮮はこの世の地獄と化した。

「もうこれ以上、この国にととまる意味も必要もなくなった」そして私は国境を越えた。 「この国は外部からの影響力が加わらない限りかえることが出来ない」と結論附けて国外の、特に日本の人々にこの国の現状を知らせ、知った上で何らかの協力を得るのが最善の道だと思ったから。

日本へ戻ってきて、本を書き、日本語を知らない脱北者たちに日本語を教え、銀行口座の開設、交通機関の利用の仕方、病院、ショッピング等々日本で生活していくためのいろいろな協力もし、いろいろな所へ招かれて北朝鮮の現状を伝える事にも携わってきた。

その間、本人は北朝鮮に残してきた家族に危害を加えられることを恐れて、本名を明かさず、ペンネームで本をだし、その名前で通してきた。

北朝鮮を離れてもう10年、日本へ帰ってきて9年になるが、いまだに北朝鮮は変わっていない。 「もしかしたら北朝鮮に残してきた家族に二度と会えないで人生の終わりを迎えてしまうかもしれない」という恐怖が本人に踏ん切りをつけさせた。 「これからはもう逃げ隠れするのはやめよう」と。 私が陰の存在でいては人の心の神髄に訴えることはできないし、相手の心に響かない。

これからは本人と家族の命を懸けて日本人妻と帰国者問題の解決に協力してくださることを訴えていこうと思っている。

 

 

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