田中里沙はひるおび出演者です。毎週水曜日 1部10:25~のコメンテーターをつとめています。
田中里沙さんは平成元年に社会に出たのですが、当時はまさにバブル真っ盛り。
複数の内定がもらえるような恵まれた時期。で、いろいろ受けたんですね。ただ均等法施行3年くらい後だったので、銀行も百貨店もメーカーも、一般職か総合職か、みたいな価値観の古い時代でした。
そこでどうするか、というところがあったんですけれど、結局、どれも、なかなか入社後のイメージができなかった。田中さんは東大卒ではないので。
学習院大学文学部の英米文学科の卒業。だからちょっと自分の立ち位置が中途半端だし、できあがった会社に行っちゃうと、多分、決まった枠の中の仕事にとどまっちゃうのかな、という感覚を持っていたそうです。
三重県津市出身。三重県立・津高校を卒業後、学習院大学文学部英米文学科に進学。学生時代に短期のアルバイトをしていた広告会社に就職。
この会社が1993年にマーケティング雑誌『宣伝会議』の経営を引き受けることになり、株式会社宣伝会議に転籍。そういう経歴を持っています。
田中里沙プロフィール
1966年生まれ
三重県津市出身。三重県立・津高校を卒業後、学習院大学文学部英米文学科に進学。
学生時代に短期のアルバイトをしていた広告会社に就職。この会社が1993年にマーケティング雑誌『宣伝会議』の経営を引き受けることになり、株式会社宣伝会議に転籍
総務を経て編集部に移り企業宣伝部、メディア、海外広告情報などを担当。
1996年の29歳の時に、同誌の編集室長となった。
専門は企業の広報宣伝戦略、マーケティングトレンド分析など。 広告賞審査員、行政・企業の広報宣伝アドバイザーなども歴任してきた
- 専門は企業の広報宣伝戦略、マーケティングトレンド分析など。 広告賞審査員、行政・企業の広報宣伝アドバイザーなど。
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職歴
広告会社を経て1993年より広告・マーケティングの専門雑誌「宣伝会議」で編集者として企業宣伝・マーケティング部、メディア業界担当記者、海外情報デスクを担当。
1995年「宣伝会議」編集長に就任。デジタル化、グローバル化を見据えたメディア環境対応、欧米・アジアの海外雑誌との記事提携を推進した。
市場の多様化、メディアの細分化に即し、新雑誌「販促会議」、「広報会議」を立ち上げ、新市場を開発。
大手企業に限られていた広告、広報、マーケティングの概念と手法を政府・行政等の公的機関、中堅中小企業、地域に広げ、コミュニケーションの重要性と有効性を提示し、雑誌および書籍出版、研究会、セミナー等を展開してきた。官庁、自治体、主要業界団体が主催する各賞の審査員を多数務める。
2003年より環境コミュニケーション誌「環境会議」、哲学の雑誌「人間会議」編集長を兼任。広告専門新聞「アドバタイムズ」を創刊し、2011年より編集室長としてメディアを統括。2013年からはデジタル版事業をスタートした。
2012年事業構想大学院大学教授就任とともに、大学出版部部長として月刊「事業構想」を創刊。新規事業、地方創生プロジェクト研究を実践するとともに、ワークショップ、インタビュー、事例を取材収集し、記事を執筆、発信している。
新聞雑誌のコラム執筆、情報報道テレビ番組のコメンテーターなどを務める。
2011年3月株式会社宣伝会議取締役副社長兼編集室長。2012年4月より事業構想大学院大学教授。2014年6月より日本郵便株式会社社外取締役(現職)2016年4月事業構想大学院大学学長就任。
- 審査員も色々経験
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自治省「全国自治体広報紙コンクール」審査員 自治省消防庁「消防広報コンクール」審査員 民間放送連盟CM部門賞審査員 日本放送文化大賞審査員 PRアワード(日本PR協会主催) 広告電通賞テレビ部門・雑誌部門審査員、 JR東日本ポスターグランプリ 朝日放送系列「ふるさとCM大賞」(北陸、長野、広島、静岡、山形)審査員 イベント産業振興協会「イベント大賞」 環境省「クールビズ」「ウォームビズ」ネーミング委員など
田中里沙の結婚は
詳細は明かしていませんが、結婚はされています。ewomanの対談中の発言
- 田中里沙
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そう。子どもが生まれて初めて、東京にはこんなに公園が多かったのか、と気づいたり。遊びに行く公園とか美術館とかずいぶん調べるようになりましたからね。
2002年、34歳の時に出産されているようです。
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