9月1日(木)の徹子の部屋のゲストは登山家 田部井淳子さんです。
田部井淳子さんは世界の女性ではじめてエベレストに登頂した人として有名な登山家です。
今井通子さん(女性初アルプス3大北壁登攀者・・・3大北壁とは マッターホルン(1967年7月19日)・アイガー(1969年8月15日)・グランドジョラス北壁(1971年7月17日)を制覇。)と並んで有名な女性登山家です。
追記2016年10月23日
世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に女性では史上初めて登頂した登山家の田部井淳子(たべい・じゅんこ)さんが2016年10月20日、腹膜がんで死去した。77歳だった。
田部井淳子の今現在
現在、月に1回ほど登山に出かけるかたわら、山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト、略称HAT-J(ハット・ジェー)の代表としての活動を続けています。
2012年がん性腹膜炎を患い余命3カ月を宣告された田部井さん。その後の治療のかいがあって腹膜のがんは「寛解」した。しかし2年前に、脳腫瘍が発見さ れました。
田部井淳子さんは今までに大きな雪崩で命を落としかけたことが、3度ほどあると告白されています。それに比べればガンの治療の方が楽だといわれていたのを聞いたことがあります。
その経緯、治療について、番組で初告白します。治療中、体力的に厳しい時も、月1ハイキングが気力の源だった。今年の5月には夫の手を借りながらインドネシ アで富士山より高い山にも登りました。徹子の部屋で大病と闘いながらも、山に挑む76歳の今を語ります。
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田部井淳子の経歴
氏名:田部井淳子(たべいじゅんこ)
生年月日:1939年9月22日 (76歳)
生誕地:福島県田村郡三春町
最終学歴: 昭和女子大学から九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程
山に登るようになったきっかけは小学4年の時に栃木県の那須連峰に登ったことが登山家への意識の芽生えになったと言われている。小学校の想いでも大事なものだとおもいます。
≪大学卒業後はクライミングに熱中≫
1962年、昭和女子大学英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳や穂高岳でのクライミングに熱中する。
≪女子だけの登山にこだわる≫
1969年、「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に女子登攀クラブを設立。翌年にアンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功。
≪エベレスト遠征隊では副隊長≫
1975年、エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功。その後、日本女性で登頂したのは難波康子(1996)で、田部井が登頂成功した21年後である。ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞。
≪女子初7大陸最高峰登頂者となる≫
1992年、1988年のマッキンリー、1991年のビンソンマシフに次いでエルブルス山に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる。文部省スポーツ功労賞。
≪いままで一番つらかった登山は冬の谷川岳≫
なんとエベレストではなく1969年冬に登った谷川岳一ノ倉沢凹状岩壁は、エベレストよりもつらかったと回想しています。
田部井淳子のおもな登山歴
1965年12月19-20日、谷川岳一ノ倉沢中央稜を完登(佐宗ルミエと)
1970年、アンナプルナIII峰登頂
1975年、エベレスト登頂(女性世界初)
1979年、モンブラン登頂
1981年、キリマンジャロ登頂、シシャパンマ登頂(女性世界初、日本人初)
1985年、イスモイル・ソモニ峰、レーニン峰、コルジェネフスカヤの3峰を1シーズンで完登
1987年、アコンカグア登頂
1988年、マッキンリー山登頂
シヴァ峰登頂(初登頂)
1991年、ビンソンマシフ登頂、コジオスコ登頂
1992年、カルステンツ・ピラミッド(ジャヤ山)登頂、エルブルス登頂
1994年、ハン・テングリ登頂
1996年、チョ・オユー登頂
1999年、ポベーダ山登頂
2001年、ムスターグ・アタ登頂
まとめ
田部井淳子のポリシー
≪スポンサーはつけない≫
旅行会社が企画する登山ツアーやTV、雑誌の登山企画の出演によって謝礼は得ているものの、自分が求める登山ではスポンサーなどによる資金を得ずに自身で お金を支払っていること、ガイド資格などを所持していないことから「登山家が自分の仕事かと言うと、そうではないと思う」とインタビューで答えています。
エベレスト後の登山では一切彼女はスポンサーをつけていません。
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