長谷俊介の経歴カメルーン代表を中津江村に誘致した理由が不純?!

日韓合同ワールドカップからはや20年がすぎました。当時かなり話題になった
事があります。大分県の中津江村というところが、カメルーンのキャンプ地に
立候補したからです。

当時中津江村ってどこにあるの?
練習できる施設があるの?
皆があまり情報がない中で、いろんな疑問がありました。

その中で候補地として立候補した中津江村にはある仕掛け人が
いました。長谷俊介さんという村の職員。

 

長谷俊介さんがカメルーン代表の誘致を提案した理由

1998年当時は長谷さんは、後にキャンプ施設となる「 鯛生たいお スポーツセンター」所長で、考えていたのは「お金」のことだった。
センターは中高生の部活の合宿向け施設だが、大分と熊本の県境という立地もあり、利用者が増えず、「村のお荷物」になっていた。

立地が悪かったのだ。いわゆる典型的な箱もの行政。

赤字続きの中で改修時期が迫り、予算に悩んでいた時、長谷さんの目に留まったのが、W杯日本組織委員会から送られてきたキャンプ候補地の募集要項。

気になる条件は?

グラウンド2面、体育館、宿泊施設、プールなど。何とかクリアはできていた。
この条件は中津江村当時の現状でクリアできていた。
「立候補するだけで宣伝になる。実際にチームが来るかは別にして、候補地にさえなれば準備のために改修補助金が得られるのでは」

たとえ候補地に選ばれなくても知名度が上がるのでは?
と考えた。

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長谷さんは喜び勇んで村長室へ足を運んだ。
話を聞いた当時の村長、坂本 やすむ さん(91)は、そう思ったそうだ。
「また、『珍しがり屋さん』が始まったな」

そう長谷さんは企画を立てるのが大好きなタイプ
いろんな企画で周囲を振り回す。

村内の小中学校にはサッカー部がなく、
関心の高いスポーツといえば相撲や高校野球ぐらい。
村は「W杯ってなに?」という雰囲気だった。

要するに地域的には全くサッカーに興味がなかった。

その後の遅刻騒動は有名。
カメルーンチームのボーナス闘争の結果
中津江村に着くのが5日おくれた。

来るのはマスコミばっかりで肝心の
カメルーン代表は10日間のキャンプ日程の
5日前の夜中の3時にバスで到着。

なんと150人の村民が出迎えたのです。
夜中の3時に

長谷俊介さんの活動はカメルーンに靴を送ること

2002年日韓ワールドカップ時、
中津江村にカメルーン代表の受け入れに奔走し、
蔭ながら、キャンプ成功に向けて活動した「ケチャ」という
カメルーンからの留学生がいました。
彼は残念ながら卒業前に交通事故で亡くなってしまいました。
私たちは彼の功績を語り続けるため、
またカメルーンと中津江村との交流を深めるために
「ケチャの森の会」を立ち上げ、活動を行っている団体です。

 

 

私たちはカメルーンや発展途上の国に、
サッカーシューズを送る活動をしています。

カメルーン(アフリカ)などでは、多くの子供たちが遊びでサッカーをしている時、
足などを怪我して破傷風で亡くなる子供たちが多いと聞いています。
この子供たちが少しでも安全に思い切ってサッカーができるよう、
日本で使っていないシューズを送り、利用してもらおうと考えています。

もし、現在利用していないシューズがありましたら、
ご協力くださいますようお願い申し上げます。

 
【ご協力いただける場合のお願い】

  1. まだ使えるサッカーシューズ、またはランニングシューズ
  2. 土などをよく落としたもの、または洗ってあるもの
  3. バラバラにならないように一足ずつ靴ひもで結んだもの

 

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