2922.1.24 NHK逆転人生
晴野まゆみさん
日本初のセクシャルハラスメント裁判と呼ばれる。
福岡セクシュアルハラスメント裁判の原告。
会社も世間もほぼ男性被告に味方。
だから会社もクビ!
本当に晴野まゆみさんにとっては、納得できない。
その結果裁判に訴えることに。
晴野まゆみの経歴
西南学院大学文学部外国語学科英語専攻卒業後、出版社に入社。
1988年勤務先を解雇され、フリーライターとして独立。
主に情報誌、企業広報誌、雑誌などに執筆。
2001年に裁判の経過を著した「さらば、原告A子-福岡セクシュアル・ハラスメント裁判手記」を出版した。
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福岡セクハラ裁判の様子
まだ日本にセクハラという言葉すらなかった30年前。
出版社で働いていた晴野まゆみさんは上司から
男女関係の噂話を流されるなどさまざまな性的嫌がらせを受ける。
会社も上司に味方し、逆に職を奪われることになった晴野さんは、
上司と会社をセクハラで訴える前代未聞の裁判を起こした。
一部メディアが晴野さんを猛烈に批判。逆風にさらされる中、
裁判は意外な展開を見せる。当時の裁判長が判決の舞台裏を独白。
歴史を変えた逆転劇とは。
法廷で被告側証人がふてぶてしい態度で嘘の証言をするのを聞き、
晴野さんは感情を押さえ切れなくなりました。
その直後、その証人と廊下ですれ違ったときに、
思わず彼に平手打ちをしてしまった。
エキセントリックな行為が、裁判にとって良くないことは承知でしたが、そのとき、彼女はそこまで追い詰められていたのです。
「何てことしたの?」
「せっかく、ここまできたのに」
「この裁判は、あなた一人の裁判じゃないのよ」
弁護人と支援者から、晴野さんは非難されました。
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1992年4月16日。裁判所は、元上司の中傷を認め、「働く女性の評価を低下させる不法行為」と違法性を認定。「会社も使用者責任を負う」として、
「全面勝訴」の判決がくだった。
セクハラに耐えた2年半、提訴までの1年余り、そして2年8カ月の係争。晴野さんの6年半の歳月の闘いが実ったのだ。
被告側は控訴を断念。150万円の賠償金とともに全面勝訴を勝ち取った。
画期的な裁判。
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福岡セクハラ裁判(福岡Q企画出版社事件 福岡地判 1992年4月16日)
わが国初のセクハラ裁判事件として有名であるが、89年8月5日に福岡地裁に提訴されて、2年8カ月後に原告全面勝訴の判決が出ている。
原告は、小出版社の32歳の編集者である。有能なので社の内外で評価されたが、それを37歳の男性編集長が疎んで、原告はふしだらな女で水商売の方が向いているなど悪評を振りまき、さらに原告の異性関係のため会社の取引先を失ったといって退職することをすすめた。
原告はたまりかねて、社長や専務に編集長の嫌がらせを止めてほしいと申し出たが、逆に編集長とうまくやっていけないならと任意退職をせまられ、
それに応じざるを得なくなったが、憤懣やるかたなく名誉毀損で訴えたいと弁護士に相談したのが始まりだった。
これには全国から多くの女性が「裁判を支援する会」に入会し、女性弁護士20名が原告代理人となって世論をまきおこした。
裁判所は不法行為による民法第715条に基づく会社の使用者責任を認め、加害者である上司と連帯して150万円の慰謝料の支払いを命じた。
これは一般に環境型と解されているが、使用者側の思うようにならないために職を失ったので対価型だとする意見もある。