廣中邦充(西居院住職)は元不良少年!経歴や今現在は【ザ・ノンフィクション】

【2020.2.2追記】
2020年2月2日(日)  14時00分~14時55分 フジテレビ系列
モモコと熱血和尚 ~おじさん、ありがとう~
本日は少女モモコの物語です。

6月2日(日) 14:00~14:55

ザ・ノンフィクション

「おじさん、ありがとう~ショウとタクマと熱血和尚~」

廣中邦充和尚が出演

 

廣中邦充さんの元にショウが預けられた日に遡る。

廣中邦充さんは20年間に渡り、問題を抱える子供たちを無償で預かり、更生に導いてきた。子供たちからは「おじさん」と呼ばれ、第二の父親の様な存在だ。おじさんや仲間たちから温かく迎えられ、ショウは少しずつ落ち着きを取り戻していくが、ある日事件が起きる・・・

 

 

一方、子供達の精神的な支えであった廣中邦充さんは、ステージ4の肺がんに侵され、その後、脳転移が発覚。強靭な精神力で病と闘いながら、最期まで子供たちに手を差し伸べ続ける。

ショウとタクマ、そして熱血和尚と悩める子供たちの心の触れ合いを捉え続けた、11年間の映像記録。をノンフィクションで

でショウとタクマを預かって面倒見たという和尚は廣中 邦充(ひろなか くにみつ、1950年8月28日- 2019年4月16日)は、浄土宗西居院第二十一代目住職をされていた。近ごろまで、しかし2012年に肺がんを患い、2019年4月16日になくなった。常時10名程の子どもを預かり、これまで巣立って行った子ども達は1000名近く、更に現在も3,000人近くの人たちがお寺に入る順番を持っている。

かって自分もグレていたのでそういう子供たちの気持ちがよくわかるのだ。

「命ある限り、子どもの心とからだの居場所をつくり、子どもたちの後ろ盾になりたい」という熱い思いで子どもたちの強い後ろ盾となっていたのですが・・・

残念ながらつい先ごろお亡くなりになりました。

2012年、ステージ4の肺がんで、余命3ヶ月を宣告された。

当初は全ての仕事を断ったが、

「逃げると追われるぞ」「半歩踏み出せ」という自らの言葉により、医者の反対を押し切り、仕事に復帰し全国で講演活動をしながら、闘病することを選択した。
闘病の末、現在は、ますます元気に仕事ができるようになり、変わらず全国を飛び回った。

その闘病生活では、不安、苦しみ、悲しみ、怒りなどいろんな感情が出てくる中で、ドクターや看護師さん、毎日握手をしてくれた。

不安な日々に、温もりある握手と笑顔に何度も助けられ、「あなたがいてくれてよかった」と思うようになった。

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廣中邦充(西居院住職)の経歴

1950年8月28日愛知県岡崎市真福寺町で西居院住職の次男として生まれる。
「不良学生で何度も警察の世話になっていた」、高校時代の恩師の支えにより更生。その後大正大学へ入学。

大学卒業後、ソニーに入社。販売会社へ出向し、そこで全国トップの営業成績を記録した。退職後は独立して複数の企業を経営した過去が。

若い頃は宗教の道には行く気配がなかった。むしろ企業家であった。

1990年に、二十代目住職であった父が病気で倒れ次男の廣中邦充さんがお寺の跡を継ぎ住職となりました。

1996年頃から10年以上にわたり自らが営む寺で、心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かるようになった。2010年までに約770人の少年少女達を更生させてきた行いが評価されています。

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廣中邦充さんの教え

ショウとタクマもたくさん預かってきたその中の一人です。まるで本当の父親のように、全身全霊、体当たりの愛情で子供たちに接している。そんな廣中邦充和尚を、若者たちは「おじさん」と呼んで慕っている。

「学校から逃げる。受験から逃げる。親から逃げる。」

様々あるが、楽な方へ行きたくて逃げれば、必ず追われるもの。

だからこそ「一歩踏み出すことが難しければ、半歩でもいいから踏み出すべき」と逃げることなく、小さくても踏み出すことの大切さを伝えている。

お寺の生活ルールは2つ

寺では約10名の若者たちが共同生活をしていて、さながら「大家族」のような温かでアットホームな雰囲気である。
寺の生活は、厳しいものと考えがちだが、実際は自由な雰囲気で、ほとんど若者たちの自主性に任せられている。

携帯電話の使用や外出も自由。喫煙や飲酒さえも許されている。ただし、夕食を全員一緒に食べること、部屋にこもらないこと、この二つがルールとして決まっている。

廣中邦充和尚は若者たちではなく、親たちに厳しく「もっと本気で子育てをしろ!」「家庭に愛が溢れていれば、子供は非行に走らない!」などと説教し、親たちの意識改革にも努めている。
和尚は若者たちを、ときには“厳しく”叱り、ときには“優しく”包む。心に傷を持ち、寺にやってきた若者たちは、和尚の愛と情熱で心癒され、自信を取り戻し、やがて社会へ旅立っていく。こうして700人以上の子供が巣立っていった。

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【2020.2.1追記】
モモコは中学2年生の時に「おじさん」こと廣中邦充さんの寺に預けられた。

無断外泊、深夜徘徊を繰り返し、両親と激しいケンカを繰り返すモモコだったが、「おじさん」や共に暮らす仲間たちの優しさに触れ、モモコは学校にも休まず通い、すっかり立ち直ったかに見えた…
寺に来てから4カ月、モモコは突然、寺から姿を消してしまう。深夜までモモコを捜索する子供たち。ようやく見つけだしたモモコは…どうなっていたのか?

子供たちの精神的な支えであった廣中さんは、ステージ4の肺がんに侵され、その後、脳への転移が発覚。強靭な精神力で病と闘いながら、最後まで子供たちに手を差し伸べ続けた。

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