垣内俊哉は弟と同じ病気経歴やバリアバリューとは?【ガイアの夜明け】

1月30日 ガイアの夜明け
テレビ東京系列 22:00~

垣内俊哉さんは骨形成不全症という先天的な障害で
車椅子を使って生活していますが、
立命館大学在学中にミライロを創業。

現在は大学やホテル、結婚式場などに飛び込みで営業に入り、
障害者や高齢者、ベビーカーを押す子育てママなど
移動に困難を抱える人にとっての障害を除去できないか調査し、

改善に向けて助言して居る今現在です。

垣内俊哉さんが生まれたのは愛知県の安城市です。
障害がわかったのは1歳になった頃です。

母方の実家があり、彼が生まれたことを契機に
父方の実家の岐阜県中津川市に移って来ました。

誕生日は1989年4月14日。
現在は28歳です。

垣内俊哉さんの弟も同じ病気

遺伝性の病気で垣内家では明治から
続いているのです。

垣内俊哉さんのこの骨の病気は,
明治の先祖の代からずっと遺伝しています。

父親も同じように足が不自由です。
私の弟も車椅子に乗っています。

この神経系の病気自体も,家系で遺伝しているので,
私は生まれた頃には,そもそもしゃべることができなかったですし,
父親も,2年前の秋から段々しゃべれなくなってきました。

だからこそ,バリアフリーであったり,
ユニバーサルデザインであったり,
障害者の教育であったり雇用であったり,

もっともっと大切なことを考えて日々を
送りたいと思うようになりました。

今でこそ私は,大阪から東京まで,
3時間も座っていれば来ることができますが,
昔はそうではなかった。

明治の先祖の頃は,舗装された道路もない,
エレベーターもない。

よって,私の先祖は生まれてから死ぬまで
一歩も外に出ることなく亡くなったそうです。

父親は,幸いにも歩けるので普通に
仕事ができています。

私は,舗装された道路が一杯広がっている
社会に生きているがために,そして,
車椅子に乗ることができているために,
学校にも行くことができ,

幸いにも働くこともできています。

 

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垣内俊哉の経歴

氏名:垣内俊哉(かきうちとしや)

現在の役職

株式会社ミライロ 代表取締役社長
日本ユニバーサルマナー協会 代表理事

1989年 岐阜県出身
2008年 立命館大学経営学部入学
2009年 ビジネスコンテストで13種の賞を受賞
2010年 株式会社ミライロを設立
2011年 近畿地区人間力大賞を受賞
2013年 みんなの夢AWARD3でグランプリを受賞
2014年 日経ビジネス「THE100 日本の主役」に選出
2015年 日本財団パラリンピックサポートセンター顧問に就任
2016年 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会ブランドアドバイザリーグループメンバーに就任

立命館大学の「びわこ・くさつキャンパス」(BKC)が
車椅子で便利そうだったし、
経営学部のアントレプレナー(=起業家育成)コースで
経営を学べるという部分で受験しました。

まだ後期試験がギリギリ残っていたので願書を出したそうです。

でも、彼は試験の1~2週間前に骨折してしまった。
予備校から帰って来て、中津川の駅から駐車場までの
道のりで車椅子が倒れて。

「もう受験まずいな」って救急車で、
ずっと考えていたそうです。

結局、垣内俊哉さんは愛知県の病院に入院したのですが、
大学に「名古屋の予備校で受験できますか?」と聞いたら、
「もう無理です。

特別対応はできません」と言われたので、
入院している病院から試験会場の滋賀まで
行ってテストを受けのです。

試験は寝たきり状態。しかも別室受験じゃなくて
普通の教室の一番前でした。

さぞかし一般の受験生には違和感があったかも
しれませんね?

 

バリアバリューとは

垣内俊哉さんは大学に対してバリアフリー
改善提案もやりました。

全般的に立命館大学キャンパスは平坦なんですが、
扉が重いとか、開閉ボタンの高いエレベーターが結構多い。

学生が飽和状態にあるので学食に行っても人が
多過ぎて食べられない。

彼はそうした不自由をいっぱい抱えていたので、
1回生の夏口だったんですけど、
学内パーッと回って、「ここは不便」
「ここはこうした方がいい」「ああした方がいい」ってまとめて、

経営学部事務室施設管理科に
渡しに行ったそうです。

真っ先にパソコンルームに
スロープができたことと、
自分がよく使う教室の扉が軽くなった。

垣内さんのバリアフリーに関しての
成功体験はここからですね。

街中の見えにくいバリアーが如何に
移動の自由を妨げているかが分かる。

同時に、今までのバリアフリーや
ユニバーサルデザインが必ずしも
当事者の意向に配慮しておらず、

その結果として外見だけ整備した施設、
垣内さんの言う「何ちゃってバリアフリー」が
巷にあふれていることの裏返しと言える。

例えば、垣内さんは入学を考えた
関東地方の私立大学に対し、
バリアフリー施設の有無を事前に電話で問い合わせし、

スロープやエレベーターが整備されていることを
確認したものの、実際に訪ねてみるとバリアフリー施設は

使える代物ではなかった。彼が言う何ちゃってバリアフリーです。

バリアフリーは、読んで字のごとく
「障害を取り除く」という意味になります。

「建物のバリアフリー」「心のバリアフリー」、
バリアフリーはとても大切なことです。

しかし、人それぞれが持つ、トラウマやコンプレックス、
障害は克服すべきものでもなければ、
取り除くべきものでもありません。

例えば、車いすに座っている人の
目線の高さは平均100センチです。

100センチの目線だからこそ、
見えることが、気づけることがあります。

今まで「バリア」として捉えていたことも、
考え方や周りの人次第で、「強み」や
「価値」に置き換えることができます。

車椅子からの視点で
バリア(障害)をバリュー(価値)に変え、
変革を目指すことが、バリアバリューと言います。

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