関西テレビ13:30 ウラマ
平成を
赤松範彦さんはディスコ立ち上げのプロ。
バブル経済とディスコは密接に結びついていたいえます。
その時代にあだ花のように咲いた?と言えるディスコビジネスです。
赤松範彦さんはこういう仕事を続けてきました。
ちなみにビジュアルはこんな方です。
赤松範彦のプロフィール
1978年に近畿大学商経学部経済学科卒業した後
株式会社心斎橋ビルディング入社しました。
1979年NOVA21グループ 株式会社大阪レジャー開発意入社し取締役就任した。
NOVA21とは英会話のNOVAとは全く関係のない会社。
経営母体は全国でナイトレジャー店舗を展開する目的で
1968年六本木に日本レヂャー開発株式会社(代表:菅野諒)と
日本アミューズメント株式会社(代表:菅野晃)が創立。
『最後の20セント』『深海魚』『泥棒貴族』等、絨毯バーの展開が前身(最後の20セントグループ)である。
1981年ノヴァ・インターナショナル株式会社(代表:菅野諒)が創立。傘下のグループ企業(店舗運営
会社)は約70社を超えていた。
1988年には京都四条マハラジャ、熊本マハラジャのオープンなど手掛ける
大阪レジャー開発をレストラン(イタリアン、しゃぶしゃぶ)カラオケ・ショーパブ・ディスコ・カフェバーなどを担う企業に育成。大阪エリアに於いて全15店舗、年商60億円達成。
以降ディスコ業態においてはスペシャリストとして、大阪、京都、神戸、岡山、広島、徳島、長崎、沖縄などの「マハラジャ」「キング&クイーン」西日本エリアを中心に25店舗のオープニング、マネージメントを手掛け、当時同グループが全国に配する「マハラジャ」40店舗を含む飲食店、70数店舗中の殆どの運営、監督に関わる
1995年 エイベックスグループからのヘッドハンティングにより、同グループの株式会社ヴェルファーレ(現:株式会社ヴェルファーレ・エンタテイメント)取締役総支配人就任。六本木の日本最大級ディスコ「VELFARRE (ブェルファーレ)」オープニングに参加。以降同社常務取締役、専務取締役、代表取締役社長を歴任
赤松範彦氏は現在株式会社 アンツの代表取締役であるが、関係会社としてエイベックスなどがあるが、過去のディスコオープンの経験などを生かして、
●飲食店・物販店開発
●エンターティメント業態(BAR・クラブ・ディスコ・カラオケ・ライブハウス)店舗開発
●リラクゼーション業態(ヘアサロン・エステ・SPA・マッサージ店)店舗開発
●インターネットストア開発
●SC・駅ビル・複合業態開発/コーディネート
店舗プロデュース業をメインに行っています。
今現在マハラジャとNOVA21グループとの資本関係はありません。
マハラジャから生まれたもの。
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多くのディスコで取り入れられた「服装チェック(ドレスコード)」を実施。ジーンズ等のカジュアルでの服装や男性同士の入店禁止等、店側による客の選別が話題になった。
なお「お立ち台」については六本木スクエアビル3Fの「ギゼ」が元祖の説があるが、その頃はまだ「お立ち台」と呼ばれていなかった。マハラジャに設置されると同時に「お立ち台」と称するようになる。
本来はダンスフロア四隅に設置してあるスピーカー(ウーハー)ボックスだったが、混雑時に客が乗り出して踊ったのが始まりである。
また「黒服」と呼ばれる役職を持つ店員もマハラジャから生まれた。これは従業員が階級別に色分けされた制服を着用していた一方で役職は黒いタキシードを着ていたことから呼ばれるようになったもの。
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