神田裕行(和食料理人)の経歴や修行店は?実家は徳島の料理店


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7月8日(土)ごはんジャパン

本物を探す旅へ~秋田県三種町 じゅんさいで冷たい茶碗蒸し~

神田裕行(かんだ・ひろゆき)シェフと遼河はるひが出演します。

夏の風物詩“じゅんさい”。そのおいしさの秘密を求めて、10年連続でミシュラン三ツ星を獲得した和食の名店の料理長・神田裕行さんと遼河はるひが、秋田県三種町を訪ねます。

じゅんさいは春から夏にかけて淡水の沼一面に鮮やかな緑色の葉を浮かべる水草。

食用として摘み取るのは若葉の部分で、ゼリー状のヌメヌメしたもので覆われているのが特徴。

じゅんさいの生産量日本一の秋田県三種町に訪れました。

 

レストラン格付け本「ミシュランガイド東京2017」では最高評価の「三つ星」は12店。

東京版は今年10年目で、徳島市出身の神田裕行さん(53)当時=東京都世田谷区=が店主を務める日本料「かんだ」など4店が10年連続で三つ星を維持した。

2017年現在徳島には日本料理店「神田」はありません。ので長男の神田裕行さんが後を継がなかったので廃業されたのですかね。

神田裕行シェフの経歴や和食を修行した店のことなど紹介します。

 

 

神田裕行シェフのプロフィール

1963年(昭和38年)徳島生まれの日本料理人です。ミシュランガイド東京版で三ツ星をうけた六本木の「かんだ」のオーナーです。

徳島の実家の日本料理店「神田」を継ぐことなく、パリや「青柳グループ」での修業経験を活かして新たな「かんだ」をオープンしました。

 

神田裕行シェフは徳島で日本料理を営む家に長男として産まれ、高校を卒業と同時に大阪の「喜川」で修業した料理人が営む大阪市「昇六喜川」で5年間修業しました。

高校時代、ロックバンドのボーカルとして洋楽を歌っており、英語を喋る料理人が少なかった時代だったので、外国語対応を必要とするお客さんが来店すると表に呼ばれるようになりました。

英語が得意だという事で重宝されました。

 

料理人としてのキャリアを初めて23歳で渡仏、Parisの日本料理レストランで5年間料理長を勤めた後帰国。

なじみのお客さんの紹介で1986年(昭和61年)フランス・パリの板前割烹「TOMO」の料理長に就任、1988(昭和63年)にはフランス最有力料理ガイド「ゴー・ミヨ」でヨーロッパにある日本料理店で最高評価を記録しました。しかし神田裕行シェフは自分の実力に納得が行かなかったのですね。

 

自分の無力感から1992年(平成4年)徳島に帰郷、「料亭青柳」に入社しました。

帰国後は料亭青柳のスタッフとして13年働き、2004年に独立開店しました。

 

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元麻布「かんだ」はどんな店?

東京都港区元麻布3-6-34
東京ミシュラン ★★★
2008.2009.2010.2011.2012.2013.2014.2015.2016.
2017
営業時間:18時~24時
ラストオーダー22時
定休日:日曜日、祝日

座席

カウンター8席、個室8席

 

2004年(平成16年)に「かんだ」を六本木ヒルズの裏にオープンしました。

歓楽街の銀座などではなく、落ち着いて料理を味わってもらえる場所に決めました。

 

神田氏のシンプルな和食と、それを最高の状態で味わうために作りこまれた店内の雰囲気が話題になり、予約のとれない店として評判になりました。

2007年(平成19年)のミシュランガイド東京版創刊号で三ツ星の評価を獲得し、世界各国から人が集まる店であり続けています。「青柳」の後輩奥田さんの「銀座小十」と山本さんの「龍吟」も、それぞれ星3つと星2つを獲得しています。

「かんだ」ではお客の写真撮影は一切禁止です。

神田裕行さんの自論は「人は記録に残すと、記憶に残そうとしない」です。
できたららまぶたのシャッターの奥に記憶として留めて戴ければ嬉しいとのことです。

粋な申し入れではないですかね。

注意の仕方も粋です。まぶたのシャッターの奥に記憶しましょう。

まあ管理人も飲食店で何処もかしこもスマホで撮影って好きではなく・・・

料理や雰囲気を楽しめよ!って想っていましたねで。

 

 

【後記】

神田裕行シェフは2004年5月に港区元麻布に店を構えました。

ミシュランガイド東京が最初に発行された07年から一度も星を落とすことはなかった。三つ星を取り続けてきたのは4店しかなく、日本料理では「かんだ」だけだ。

紙に書いたメニューはなく、客の希望に応じて神田さんが即興で料理を供する。「目の前にいるお客さんを喜ばせたい一心で、まじめにこつこつと料理を作り続けてきた」

徳島産食材をはじめ藍染ののれん、阿波手すき和紙のランチョンマットと、店のあちこちに古里への思い入れがにじむ。巻きずしや茶わん蒸しの作り方を教えてくれた両親をはじめ、家族や仲間への感謝を口にしながら「これからも毎日、調理場に立つ。それだけです」と抱負を語った。

 

神田裕行シェフは徳島で和食店を続けませんでした。

しかし故郷の徳島は忘れず、随所に徳島のフレーバーが生きています。のれんやランチョンマットなどに。

 

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