松島 栄美子(まつしま えみこ
1892年5月21日 – 1983年4月7日)は
日本で初のヌードポスターモデル
とされている人物である。
、
日本の歌劇女優。本名は川島 栄美子(かわしま えみこ)。
まっさんの太陽ワインの
上半身ヌードモデルの
モデルになった女性です。
この時代(1922年)にこのような
モデルを努めるのは本当に勇気がいる
物だと思います。
親から勘当されたり。その頃の
世間の目も非常に厳しかったと
思われます。
東京府東京市(現・東京都)出身。
出生名は木内 清子(きうち きよこ)
学生時代は日本の租借地であった大連
(現・中華人民共和国遼寧省大連市)で過ごし、
当時存在した大連高等女学院を卒業しています。
新派俳優・桂寿郎に弟子入りし、1913(大正2)年に
新劇の女優として常磐座で初舞台を踏む。その後は
浅草オペラで名をはせた根岸大歌劇団に入団し、
関東大震災に浅草オペラが壊滅した後も
森歌劇団・築地小劇場などで活動する。
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一方で明治時代後期、寿屋
(現在のサントリーホールディングス。
ワイン事業はサントリー
ワインインターナショナルが担当)
が、日本で初の国産高級ワイン
「赤玉ポートワイン」を発売し
そのキャンペーンキャラバン的な役割として
「赤玉楽劇座」なる劇団が結成された。
同劇団は寿屋と取引のある酒店の店主らを招待して、
各地の公会堂で公演を行っていました。
松島は一時この劇団のプリマドンナ
(歌姫)としても活動していた。
その松島が1922年、大阪市の 写真スタジオにて、
広報用ポスターの写真撮影に迎え入れられた。
当初は着物姿で撮影したが、のちに肌着、
更には上半身を裸にして肌を露出する
という形で1 ポーズにつき50-60枚の
写真を約6日間にわたって撮影されました。
こうして、上半身裸の上で、グラスに注いだ
赤玉ポートワインを胸に当てるポスターが完成 し、
赤玉の売り上げアップに貢献。ドイツでのポスターの
品評会コンクールでも1等(最優秀)に選ばれました。
しかし「赤玉楽劇座」はその直後に解散
してしまいました。
この上半身露出のポスターは
「若い娘がやることではない」
として、家族や親せきからブーイングを受け、
親からは勘当されたといいます。
また警察当局からもクレームがつき、
取り調べを受けたこともある。
その後、東京中央放送局(現・NHK放送センター)
の職員と結婚し、晩年、松島の甥で写真家の川島徹が、
当時のポスターと、晩年の松島のツーショット
写真を撮影していたのが、
川島の妻によって公開された。
この年の4月、トイレから「気分が悪い」と
出てきたところを息子の膝にもたれかかり、
そのまま息を引き取ったという。享年90。
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