原子力空母カール・ヴィンソンアメリカ海軍の原子力空母です。
北朝鮮とアメリカ・韓国が緊張状態に突入したことにより、独特の響きを持つこの言葉の由来を知る人は意外に少ないのではないでしょうか。
カール・ビンソンアメリカ合衆国の政治家です。あんなにスゴい空母が名前をもらっているのでさぞかしいかつい人?バリバリの軍事オタクかなと思い調べました。
物静かで知的なイメージです。この方の政治活動がやはり空母の由来なのか?
ゴリゴリのタカ派だったのと興味が尽きませんね。
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カール・ヴィンソンの経歴
生年月日 :1883年11月18日ー 1981年6月1日(享年97歳)
出生地 US flag 38 stars.svg アメリカ合衆国、ジョージア州ボールドウィン郡
没年月日 1981年6月1日(満97歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国、ジョージア州ミレッジビル
出身校 マーサー大学
所属政党: 民主党
アメリカ合衆国下院議員
ジョージア州第10区、第6区選出
在任期間 1914年1月3日 – 1965年1月
まあこのおじいちゃんスゴいです。97歳まで生きて、議員も51年間続けています。
半端ではない息の長さ。
政治家を51年も続けるって凄くないですか?
しかし管理人にとってもっとも意外だったのは、カール・ヴィンソンが民主党員だったこと。
絶対に共和党だと思っていました。予想を裏切られました。
でも前回の北朝鮮危機もクリントン政権の時でした。
クリントン元大統領も民主党だったのですよ。
空母の名づけたのはカール・ヴィンソンの長年に渡る海軍への貢献のため
国防問題、なかんずく海軍の軍備に明るい政治家として頭角を現しました。
第一次世界大戦直後の1920年代には、海軍委員会の委員に就任。
1931年には、海軍委員会の委員長となる。1934年にはフロリダ州選出のパーク・トランメル上院議員と共に建艦法であるヴィンソン・トランメル法を推進。
さらに、日本の海軍条約脱退後に、いくつもの建艦法案とそれらに基づく建艦計画を促進させ、第二次世界大戦の戦前・戦中における米海軍の拡張に多大な貢献があった(「ヴィンソン案」を参照。
これらの「ヴィンソン案」を「第○次ヴィンソン計画」と称することもある)。
第二次世界大戦後、海軍委員会は軍事委員会と合併し、下院軍事委員会となった。ヴィンソンは委員会の最初の委員長となり、1965年に引退するまで同職を務めた。
軍事の焦点が冷戦に変わるとともにヴィンソンは議長として軍の近現代化を推し進め、特に1950年代の終わりにはエンタープライズ (USS Enterprise, CVN-65) から始まる原子力空母の調達に注力した。
1980年3月15日に彼は96歳で同艦の進水式に出席した。
南極の最高峰の名前にも!?
また、政府に働きかけ南極大陸調査を推し進めたことでも知られ、アメリカ隊が発見した南極最高峰は彼の名を冠しヴィンソン・マシフと名付けられた。
なんだかあちこちに名前がついてすごい人。
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