消えた天才 ★五輪金メダリスト&W杯日本代表が勝てなかった天才SP★
TBS系列 2018年11月4日(日) 18時30分~20時54分
野村忠宏さんの兄野村忠寿(のむらただとし)さんが出演
野村忠寿さんは金メダリスト野村忠宏の兄で子供のころは一緒に柔道をやっていた。
一方は金を3個も取ったメダリスト金メダリストの中でも別格。アトランタオリンピックで優勝。シドニーオリンピックにて柔道軽量級で初の2連覇。アテネオリンピックにおいて柔道史上初、全競技通してはアジア人初となる3連覇を達成。
本人曰く柔ちゃんのせいで自分に脚光が当たらなかったと常々言っていますが。
そんなことはありません。十分実績は評価されていると思いますよ。
野村忠宏をして1000回戦って勝てなかったと言わせた、兄の野村忠寿さんって何モノなのでしょう?
実際1000回も戦ってないと思われますし、比喩的なことで1000回戦っても勝てないだろうな~という野村忠宏さんの感想だろうと考えられます。
高校時代には兄は全国3位の実力。
野村忠宏とは圧倒的に実力差があり、周りの期待も兄に集まっていた。
最初は野村忠宏さんと兄の野村忠寿さんの年齢が離れていると思ったのですが・・・
子供の頃の年の差って半端ないですからね。小学1年と6年生は5歳しか年の差はないですがそれはもう小学1年生からみれば大人ほどの感じを持つものです。
しかし野村兄弟の年の差は1歳だけです。
ということは子供の頃には兄の野村忠寿の実力が相当高かったか?野村忠宏の実力がなかったのかどちらか。
実際贔屓目に見ても兄は強かったのでしょう?
しかし野村一家は家で柔道の話をすることはなかったので兄がなぜ柔道を辞めたか今も理由を知らないようだ!
実は兄の忠寿さんは練習では向かうところ敵なしだが。試合に弱かった。
野球でもこういうケースがありますね。ブルペンエース・・・ブルペンでは驚くような投球をするのに、試合ではボカスカ打たれるピッチャーです。これと同じ。忠寿さんは性格が優しすぎたのだ。相手を怪我させたりするのが怖かった・・・
実際野村選手の家系は柔道一直線の家系。もう柔道をするために生まれてきたと言っても過言ではない。逆にいくら運動神経が良くても、他のスポーツをするなんて許されない雰囲気じゃないですか。
祖父は地元・奈良で道場「豊徳館野村道場」を開く柔道師範野村彦忠、父は1984年ロサンゼルスオリンピック金メダリストの細川伸二ら名選手を育てた元天理高校柔道部監督野村基次、叔父は1972年ミュンヘンオリンピック金メダリストの野村豊和、兄の野村忠寿も豊徳館野村道場のコーチという柔道一家。
野村忠寿のプロフィール
名前:野村忠寿
生年月日:1973年
年齢:44歳
出身:奈良県
高校:天理高校
大学:天理大学
現職:整骨院開業
豊徳館・野村整骨院を開業しています。
所在地: 〒635-0822 奈良県北葛城郡広陵町平尾557−1
診療時間:
日曜日 | 8時00分~17時00分 |
月曜日 | 8時00分~12時00分, 15時00分~19時30分 |
火曜日 | 8時00分~12時00分, 15時00分~19時30分 |
水曜日 | 8時00分~12時00分, 15時00分~19時30分 |
木曜日 | 8時00分~12時00分, 15時00分~19時30分 |
金曜日 | 8時00分~12時00分, 15時00分~19時30分 |
土曜日 | 定休日 |
柔道整復師を目指したきっかけ
父の野村基次から「やってみないか?」と言われたのが、一番最初のきっかけ。
当時父の言葉は絶対だった。
父親が「柔道整復師」の資格を持っており、卒業当時、教職に行くかどうしようかと悩んでいたときに「こんなのがある」と薦められたんです。
ただ、父親は教員でしたから、柔道整復師の仕事はしておりませんし、最初は、私自身もそういった発想は無かったのですが、父親の「やってみないか?」の一言が「よし!やってみよう!!」というきっかけになりました。そのくらい父親の言うことは絶対でしたね。柔道の先生でもありましたし。
番組ではなぜ選手として大成しなかったのかその理由に迫る。
そこには、ある弱点の影響で試合に勝てなくなった衝撃の事実があった。天理大学まで進学しておそらく柔道も懸命に練習したであろう兄の忠寿さん。しかし番組で語られるであろう、ある弱点のせいで柔道選手として世にでることができなかった。
同じような環境で練習を積み重ね年齢差も1歳。野村忠宏が本当に勝てなかった兄の弱点が気になります。
それは私の単なる推測です。
おそらく練習では克服できないもの。ひょっとすればメンタルなどの可能性もあります。スポーツ選手には本当にメンタルに重要性が注目されている昨今です。
でもちょっとした差かもしれません。
その差が埋められたら兄も大選手になったかも!?って他人は言いますが本人は本当に辛かっただろうと思いますね。
スポンサーリンク