細川護熙の今現在は薬師寺障壁画プロジェクトに集中!陶芸の次は絵師に

8月21日(日) 情熱大陸は78歳でなお絵に情熱を燃やす。

新米絵師としては異例の大抜擢となった“薬師寺の障壁画プロジェクト”。それを受けた絵師こそ、自らを“変人”と呼ぶ『元総理』細川護熙。

「人のことは、 どうでもいい」と語る、彼が進むわが道とは?特別なキャリアと多才ぶりから一見正体不明に見える。だが、その素顔を見つめると、いくつになっても大いなる 好奇心を抱き、自分の心に正直に生きるシンプルな男の姿が見えてきた…社会活動や知られざるプライベートにも迫る。

 

人のことは、 どうでもいい? ここが常人には少し理解しずらい所なのかもしれません。細川護熙氏は熊本県知事から中央政界に進出し、日本新党を立ち上げ、政権も奪取しました。

総理大臣になった人です。毎日マスコミをにぎわせテレビにも出ていたはずですが、いまいちわかりずらいと思わせたのは、人のことはどうでもいい的な根本的考えにあるのかもしれません。

管理人がおもうにいまいちとらえどころがない!と感じてしまうのです。

私人になった今だからこそ言えるのか?人のことはどうでもいい、

 

最後の方は”殿ご乱心”で政治家を辞した印象。

細川に佐川急便借入金未返済疑惑が勃発。自民党に追求を受けて、返済の証拠が提示できず、国会が空転。このあたりが原因で突如政治家を辞めたという印象です。

 

政治家であればこの発言はよろしくないでしょう。

舛添さんが東京都知事になった選挙でも戦ったと思うのですが・・・

もともと細川護熙氏は芸術家の方が向いていたのかもしれないですね。

 

細川護熙氏は60歳で政治家を完全引退し、神奈川県湯河原に移住。晴耕雨読の生活をしながら陶芸に没頭していたはずでした。

しかし今現在は絵師として薬師寺慈恩殿の襖絵ならびに壁画を制作に取り組んでいます。

 

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今回九曜アートプロジェクトの一環としてこのたび細川護熙氏が薬師寺慈恩殿の
襖絵ならびに壁画を制作することとなりました。2017年春に、まず内陣の障壁画40面が、
その2年後に残りの障壁画が収まる予定です。制作日数は約5年。
その壁面の総数は内陣、外陣合わせると約60面にも及ぶ、大掛かりなプロジェクトです。

この障壁画をアジアにおける仏教美術の一つとして、後世に残し伝えていくためにも、
皆様方からの下貼り用紙ご寄進をお願いいたしたく存じます。
皆様方の制作へのご参加によって、「堂内荘厳」を首尾よく完結させたいと願っております。

 

そんな絵心があるとは全く知りませんでした。これは大事業なので元首相の趣味というレベルの話ではないですね。今の芸術家の活動が向いているような気がしてなりません。

 

細川護熙のプロフィール

1938年東京生まれ。 肥後細川家の第18代当主。

上智大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、衆参議員、熊本県知事、日本新党代表、内閣総理大臣を歴。60歳で政界引退後は神 奈川県湯河原に移住。

晴耕雨読の生活をしながら陶芸に没頭する。書や水墨、油絵や漆芸にも挑戦し、様々な作品を発表。パリやニューヨークなどでも展覧会を 開催し称賛を浴びる。創作時には音楽を欠かさない、78歳。

1938年東京都生まれ

1963年上智大学法学部卒業

1963年朝日新聞社入社 社会部記者

1968年朝日新聞社退社

1971年参議院議員

1983年熊本県知事当選

1991年臨時行革審部会長

1992年日本新党結成 代表就任

1992年参議院議員

1993年衆議院議員1993年第79代内閣総理大臣任命

1994年第79代内閣総理大臣辞任

1994年日本新党解党

1998年衆議院議員辞職

1999年作陶を始める2001年日本橋壷中居、

京都古美術柳にて初個展(以降、国内各地、パリ、ニューヨークなどで個展開催)

2009年油絵を描き始める

2012年襖絵の制作を始める

2014年東京都知事選挙出馬落選

 

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