4月7日そこまで言って委員会に石川牧子アナがゲスト出演します。
石川牧子アナといえば1997年 – アナウンス部長(在京テレビ局では女性初)となった人です。
その一方1998年にパーキンソン病で亡くなくなった母親の介護をしていた。
石川牧子さんはテレビ局のアナウンサーとして第一線で働きながら、東京―仙台の「遠距離介護」を7年間続けたのです。結婚はせずおそらく忙しすぎて時間がなかったのがホンネでしょう。
4人兄弟だったが、未婚の石川牧子さんがいちばん身軽でした。何よりお母さんが好きだったのが理由。そして母親を独占できるような気がしたそうです。
若い頃はアナウンサー生活が忙しかった石川牧子さんだったが、日テレでもいろんな番組を担当していました。
石川牧子アナ若い頃の担当番組
「アメリカ横断ウルトラクイズ」や
「JNNジャストニュース」(1978年4月 – 1980年3月)キャスター
「世界陸上東京大会」など知名度のある番組に出演していました。
その他にも
- ミユキ野球教室
- 元祖どっきりカメラ
- こんちゃんのトンカチうたじまん
- 横浜国際女子駅伝 – 実況
- 新体操ワコールカップ – 実況
- 実践ゲートボール – 実況
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石川牧子アナの経歴
名前:石川牧子(いしかわまきこ)
生年月日:1949年11月12日(67歳)
出身地:山形県鶴岡市 (※1)
学歴:東京女子大学短期大学部英語科卒業
職業:元日本テレビアナウンサー、フリーアナウンサー、
ジャンル:報道、バラエティ、
活動期間:1970年~
- 1996年 – アナウンス部次長。
- 1997年 – アナウンス部長(在京テレビ局では女性初)。(※2)
- 2001年6月 – 日本テレビエンタープライズ常務取締役日本テレビアナウンスカレッジ学長。
- 2005年 – 日本テレビエンタープライズ常務取締役日テレ学院長(組織改編による)。
- 2007年 – 日テレイベンツ常務取締役日テレ学院長(組織改編による)。
(※1)出身地
山形県生まれで訛りのずうずう弁があり、それがコンプレックスだった。人生で1度くらいは共通語を話したいと思ったのが志望動機。
しかも入社時の面接ではしゃべるのが嫌いといったらしい。
アナウンサー志望でしゃべるのが嫌いって致命的?でも日テレは採用を決定。
理由は面接で物怖じしなかったから・・・
就職面接を受け、日本テレビの他に北海道のテレビ局の最終面接が残っていました。
北海道に面接に出掛けるために美容院に行っていると、私の母親が美容院に飛び込んできました。
日本テレビから実家に電話があったというんです。
その時、私はパーマをするために、おかまの中に入っていて、ずいぶん待たせたと思うのですが、ようやく抜け出して電話をとったら、「あなた受かっていますよ。
どうしますか?」と言われました。
実は、私はキー局に関する知識があまりなく、海の向こうの地に憧れを抱いていました。海の向こうと言っても北海道ですが(笑)。
そしたら、母が「お前ね。キー局だよ。そっちにしといたほうがいいんじゃないの?」と言い出しました。
電話をつなぎながら相談していましたから、いま考えてもけっこう大胆ですよね。そして、最終的に日本テレビへ入社することになったんです。
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31歳で顎関節症を患う・・・自殺も考えた!
石川牧子アナは31歳の当時はあまり知られていない顎関節症にかかった。
「喋れなくなったんです。『あ』と言うときに『あ』を言うぞ、と思わないと声にならない」起きてから、寝るまで、常に考えないと言葉が発せなくなった。
「台所で動脈を切ったら…、地下鉄のホームから落ちたら…楽になるだろうなって。でも、いま死んだら親が悲しむ、と思い、1日死ぬのを待ってみよう、と。
次に3日待とう、1週間待とう、と。そうしているうちに、生きられました。
このことがあったから、病んでいる人、弱い人の気持ちが分かるようになったし、安易に頑張って、とは言えなくなりました」
(※2元日テレ宮崎アナが「ある先輩とアナウンス部で2人きりになると、原稿を宙に投げながら『あなたはアナウンサーじゃないのよ!』と必ず“指導”された」そうだ。
それがいつも終電間際だったので、しかたなく徒歩で帰ることもあったという。これが当時の石川牧子アナウンス部長だったと。
しかしいじめではなく指導という見方もできる。
「80年代後半から90年代前半は、フジテレビの八木亜希子、有賀さつき、河野景子から第1次女子アナブームが始まりました。
日テレは、この3人の人気に追随しようと93年に薮本雅子、永井美奈子、米森麻美で女子アナユニット『DORA』を結成しCDデビューさせました。
これに“女子アナはタレントじゃない”と猛反発したのが当時、キー局女性初のアナウンス部長だった石川牧子。
だけど、女子アナの中にはタレント化してチヤホヤされる他局の人を羨ましがる人もいた。宮崎アナもその1人です。
その指導が深夜になってしまったのは、人前で注意をしない先輩アナの思いやりですよ」
確かに当時の女子アナはかなりチャラチャラして仕事を履き違えていた部分がよく見られました。視聴者で不快に思った人もおられたのでは?
石川牧子アナの今現在
次代を担う大学生を主な対象に、働く心構えや志を育む3カ月間の無料研修。自己分析などの講義、経営者など各界で活躍する第一人者を招いての特別講演、職場体験などのプログラムをこなせば修了証が授与される。
学生は期間中、参画企業の幹部、経営者の助言が受けられる。主催は秀實社
研修会で大学生向けに講演会を行っています。
こういう活動以外にも一般にも講演会を開いています。
坂井市男女共同参画推進委員会/医療ネットワーク支援センター/首都圏の家族介護者の会/介護老人保健施設余目徳洲苑/都留市男女共同参画推進委員会/公益財団法人介護労働安定センター山形支所/その他多数
講演のテーマは・・・
自分らしく生きる ~一秒の重さ~
話し方一つで人生は変わる
想いは伝わる言葉の力
親の介護から学んだこと ~7年の遠距離介護・在宅介護より~
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