7月1日(金)瀑報!
19:00~
ではビートたけしの運転手だった“たけし軍団”Aの現在を追う
熱海でまさかの商売をという内容で放送されます。
元運転手Aとは秋山見学者です。現在は秋山大学に芸名が
変わったということです。
秋山見学者はいま熱海で本当にピザ屋をやっているのか?
調べてみました。
秋山大学(秋山見学者)のプロフィール
氏名:秋山浩一
旧芸名:秋山見学者
芸名の由来「秋山見学者」という芸名は、風雲たけし城を収録していた緑山スタジオに弟子志願のためによく見学に来ていたから付けられた。
生年月日:1962年6月7日
所属事務所:オフィス・キタハラ
家族:元スタッフの女性と結婚、子どもは高1の長女に中1の長男の2人。
たけし軍団では:ラッシャー板前を継いで88年4月から91年8月まで、たけしの愛車だったベンツ・キャラットリムジンのハンドルを握った。
1995年に芸人を廃業したが、『北野ファンクラブ』のスポンサーのピザーラから声をかけられて
ピザ店を経営することを決断したようです。
今の奥さんは店舗の元スタッフ女性です。
秋山見学者の今現在
フランチャイズ店のピザーラ熱海店の経営の傍ら並行して、タレント活動も行っているようです。なお芸名は秋山大学です。
なお店舗開店の場所熱海はなぜ熱海なのかは、秋山見学者によると、たまたま熱海がピザ店舗の空白地だったことが理由です。
スポンサーリンク
95年9月にたけし軍団を抜け、芸能界を引退。ピザーラの研修を受け、12月に開店に至った次第だ。ピザーラの浅野秀則会長が秋山見学者の本を読み
秋山にたけし軍団を抜けたらピザ店をやらないかと声をかけていたようです。
秋山見学者はその後の当ても特になかったので、この話は
渡りに船の話だったのでしょう。
「そのための資金2000万円は『たけしー・ドライバー』の印税と貯金、あとは父からの借金で何とか工面しました。正直、まったく手探りでのスタートでしたね」
秋山見学者がオーナーになってオープンしたのが95年12月2日ですから、そろそろ21年目に入ります。本人によれば
その間、熱海では大型旅館やホテルがいくつも倒産し、ウ チもリーマン・ショックや東日本大震災の直後はピンチに陥りかけましたが、どうにかそれを乗り越え、今日まできた。我ながら感心しちゃいます、ハハハ」
店舗は一度引っ越ししています。嫁の実家の土地を、10年ほど前に買い取り、リニューアルオープンしたようです。
その前の熱海駅に近い場所にあった店と比べれば、確かに人通りは減 りました。でも、9割以上が電話注文でしょ。店のロケーションはほとんど関係ないんです。土地柄、個人宅や会社だけじゃなく、旅館やホテルの客室からもご 注文をいただくのであまり影響はないのでは。
営業エリアは半径7キロが目安。北は湯河原の手前、南は伊豆多賀あたりまでです。
「人件費節約のためほぼ毎日、店に出てますね。配達? それは専門のスタッフがいます」
まとめ
たけしさんの運転手を3年ほど勤めた
秋山見学者ですが、運転手時代のエピソードは、たけしの愛車だったベンツ・キャラットリムジンのハンドルを握った。
「外車なんて乗ったことがなく、よくこすったり、ぶつけたりしてました。そのたびにバンパーが曲がったり、ヘッドライトが奥に引っ込んだり……。たけしさ んはしらふだとおっかないから、酔っぱらってるのを見計らって事後報告するんです。すると、“いいよ、マジックでも塗っといて”って。だけど、修理に出し たら100万円くらいかかったこともあって、そん時はエラく怒られました。そうした話が単行本につながり、ピザーラさんとの縁も生まれた」
秋山見学者は幸せな弟子時代を送ったようですね。
スポンサーリンク