朝ドラ「あさが来た」のモデル広岡浅子
その1
ドラマでは「今井あさ」のちに白岡あさ
のモデル広岡浅子のの生まれは1849年10月18日
三井家という日本有数の
名家に生まれ、江戸から明治、大正と
激動の時代を生き抜いた
あるときは実業家、教育者として
「女傑」という名前がこれほど
ふさわしい女性がいないと思います。
広岡浅子の70年の人生とは
①1849年10月18日
京都油小路出水の三井家四女
として生まれる。
(当時の出来事)
1853年 ペリーが浦賀に来航
プチャーチンが長崎に来航
徳川家定第13代将軍に就任
小さいときはおてんばで
丁稚と相撲を取ったり、木登りをしたり
自由に少女時代を送る。
しかし当時の商家には
女性に学問は不要と学問は
13歳で学問は禁止されたといいます。
これは朝ドラでも描かれていました。
②1865年大商人加島屋へ
輿入れ
(当時の出来事)
第二次長州征伐宣言 坂本竜馬
が桂小五郎と会合
17歳でいいなずけの
加島屋に嫁いだ浅子は
大坂でも有数の商家であった
加島屋で商売について
熱心に勉強を始めた。
夫は家業にまったく興味がなく
商売は番頭まかせ。
夫の信五郎は歌を詠んだり
茶の湯を楽しむなど趣味
に生きる人間。
こんな夫の行動に不安を感じた
浅子。実家の出水三井家とは
まったく違い、舅や夫は
学問や商売に興味を
もつことを少しも咎めなかった。
寝る間も惜しんで浅子は
簿記や算術や加島屋の商売
についても深く勉強を始める。
この辺の考え方が京都と大阪
の気質をよく表していると
思います。
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③1867年 婚家が存亡の危機
(当時の出来事)
1867年大政奉還・倒幕の勅命
大政復古の大号令
幕府から新政府へ政権が移り
混乱は全国各地へ
新たな世の中への動きが
大阪経済を沈めた。
加島屋も創業以来の
危機を迎える。
倒産した両替商も多く
浅子の姉の春(はつ)が嫁いだ
山王子屋(天王寺屋)も
倒産した。
ドラマでも詳しく描かれています。
当時加島屋の借用証文は
長州藩をはじめ諸大名分が
数千通もあり、その総額は
900万両、現在の貨幣価値で
4500億円債権が帳消しに
なってしまったのです。
④広炭商店開業
1884年本格的に炭鉱業へ進出
(当時の出来事)
1883年鹿鳴館落成
鹿鳴館時代
新たな事業に挑むため
浅子は筑豊に向かう。
しかし待ち受けていたのは
困難に次ぐ困難
幾多の困難を乗り越えることで
ついに「九転十起」の信念を
もつにいたる。
明治二年1869年に
明治新政府が炭鉱解放令
を公布し民間に炭鉱事業を解放した。
この流れに乗り加島屋も
探鉱事業に進出を決意した。
それは家業の両替商が大名家の
借金棒引きにより大打撃を
こうむっていたため。
炭鉱業に進出したのは
ある意味必然だったのかも
しれない。
その2につづく
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