11月11日(金)の徹子の部屋
はペギー葉山さんと菅原洋一さんがゲストです。
菅原洋一さんの記事はこちらでどうぞ!
ペギー葉山さんのほうがずいぶんデビューは古いと思います。
学校卒業後の翌1952年11月にキングレコードから
「ドミノ/火の接吻」を発売し、レコードデビューしました。
デビューはまさかのポピュラー歌手
ヒットした『南国土佐をあとにして』
や『学生時代』などの歌を考えると
イメージが変わりますね。
最初はクラッシック歌手を目指していたが・・・
ペギー葉山はポップスが好きになり。
きっかけはビング・クロスビー
でもヒットしたのは歌謡曲なのです。
幼少時から歌が好きだったことから、
青山学院中学部(現青山学院中等部)在学中に
内田るり子に師事し声楽を習い、音大進学を志す。
しかし次第にFEN放送(現・AFN)から流れる
アメリカのポピュラー音楽へ関心を深めていき、
青山学院女子高等部(現青山学院高等部)2年の時に
映画『我が道を往く』を観た際、劇中で主演のビング・クロスビーが歌う
「アイルランドの子守唄」に感動、
クラシックからポピュラー・ジャズへの転向を決意。
ペギー葉山の経歴
芸名:ペギー葉山
出生名 :小鷹狩 繁子(こたかり しげこ)
生年月日:1933年12月9日(82歳)
出身地 :東京都新宿区
学歴 :青山学院女子高等部
(現・青山学院高等部)
ジャンル :ジャズ
歌謡曲
職業 :歌手タレント
活動期間 :1952年 –
レーベル キングレコード
事務所 東和商会太田事務所
なんとペギー葉山さんまさかの東京出身です。
南国土佐を後にして
がヒットしたので、高知出身の歌手だとばかり
思っていました。
夫は俳優の根岸淳さんです。
1965年、根上の大ファンであった歌手のペギー葉山と結婚し
1968年には長男が誕生、結婚後も夫婦で本を出版し、
書道の展覧会に二人で出展するなど芸能界一の
おしどり夫婦として知られていた。
《夫婦でウルトラマンシリーズに出演》
これは非常に珍しい」というか
芸能界でもないでしょう。
根上淳が『帰ってきたウルトラマン』、
妻のペギー葉山が『ウルトラマンタロウ』(ウルトラの母役)と
夫婦それぞれウルトラシリーズの作品に出演している。
ペギー葉山デビュー時は
1951年進駐軍のキャンプで歌い始め、
その歌声とセンスを見込んだティーブ・釜萢の口利きで、
当時の一流ビッグバンドである渡辺弘とスター・ダスターズの
三代目専属歌手として活躍する。
学校卒業後の翌1952年11月にキングレコードから
「ドミノ/火の接吻」を発売し、レコードデビュー。
1954年には「第5回NHK紅白歌合戦」に紅白歌合戦初出場を果たす。
渡辺弘とスター・ダスターズの専属解除後の1955年2月には初渡米。
各地で歌い、盛況を博す。
1958年、ミュージカル『あなたの為に歌うジョニー』で
芸術祭個人奨励賞受賞。
翌1959年には「南国土佐を後にして」の空前の大ヒットで、
ジャズ/ポピュラー界だけではなく歌謡界においても、
その地位を不動のものにする。
ペギー葉山
学生時代
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南国土佐を後にして
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