7月27日(水) 緊急特番!今夜限定・・・スポーツ界をゆるがした
4大伝説 TBS系列 2016年7月27日(水) 19時56分~22時54分放送
松野明美×有森裕子
松野明美ご存知の方もいるかもしれません。
有森裕子とバルセロナ五輪女子マラソン代表の座を争った相手
日本陸連を巻き込んでの大騒動となりました。
子鴨由水もバルセロナ五輪マラソン代表を射止めました。その後彼女にも悲運が訪れます。
さてそんな松野明美の今現在とは?
2010年から熊本市議会議員。2015年から熊本県議会議員
いまは時々バラエティー番組にゲスト出演はあります。
しかし、議員活動をしていますので、熊本県議会からあまりテレビに出ないでという要請を受けているかどうかはわかりませんが、テレビ出演機会は減っています。
かってプリティー長嶋さんが千葉県議会からテレビ出演を自粛を依頼されたということを、番組で告白していました。なので松野明美さんも同じようなことがあるかもしれません。
2010年3月23日、植木町が政令指定都市を目指す熊本市と合併。その際、植木町議を市議として受け入れることなく、またすぐに全市での選挙も行わず、熊本市議会議員の増員のみを図り(合併特例法の定数特例を適用した増員選挙)、
植木合併特例区すなわち旧植木町のみを選挙区として市議会議員増員分選挙を4月に行いました。肩書は熊本市議でも実質は植木の唯一の代表(定数2人)を決める選挙でした。
植木出身である松野は、合併直後の3月末に「ふるさと植木をよくしたい」「障碍者・児の住みやすい街にしたい」との公約を掲げ無所属で立候補した。選挙の僅か1ヶ月前の立候補であったが、知名度の高さを生かして定員2人に対して2番目で当選を果たした 。
ただし、この選挙はあくまでも補充選挙であり、任期は2011年4月30日まで、2011年4月の統一地方選挙で再び選挙戦を戦うこととなっていた。
その2011年4月の選挙は法令の規定により植木選挙区が熊本市に統合されたことから一気に多くの敵と戦うことになった一方、全市の有権者にアピー ルするチャンスともなった。
松野はマラソンで遊説を行い「人の痛みのわかる議員になりたい」と訴え、幅広く支持を集め11,196票を獲得。2位以下に 4,000票以上差をつけてのトップ当選を果たし、2期目のスタートを切った。所属会派は自民党・保守系無所属の会派の1つ「くまもと未来」。
熊本市の政令指定都市移行は2011年10月に本決まりとなり、松野の地元旧植木町には旧役場に北区役所が新たに設けられることが決まった。これによって松野の選挙区は再び縮小され、次の選挙からは北区選挙区からの立候補となりました。
2015年4月3日、熊本県議会議員選挙に熊本市第1選挙区から立候補し、同日付けで熊本市議会議員を失職。
2015年4月13日に行われた熊本県議会議員選挙で当選しました。
現在熊本県議会議員として第1期活動中です。
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松野明美の家族
夫は木脇祐人さん松野明美がマラソン引退後によくテレビ出演していた時には
松野のマネージャー的仕事をこなしていたようです。松野とは対照的におとなしい印象でした。
子どもさんは男のこが2人います。
2002年に長男輝仁(きらと)君を出産 難産だったといいます。
2003年に次男健太郎(けんたろう)君を出産 健太郎君は妊娠8か月の時点で心臓病が発覚
出産後10日で、ダウン症を宣告されました。心臓病はダウン症から来ている疾患であることも医師から告げられたのでした。
松野明美の主な記録
<トラック>
1990年6月 日本陸上競技選手権大会 10000m2度目の優勝 32分18秒71
1990年9月 北京アジア大会10000m銅メダル 31分56秒93
1990年10月 九州実業団駅伝(非公認10キロロード日本最高記録30分59秒をマーク)
1990年12月 第3回国際千葉駅伝 1区区間賞(区間新記録)(日本チームは2位)
1990年12月 第10回全日本実業団対抗女子駅伝 4区区間新記録(ニコニコドーは3位)
1991年8月 世界陸上(東京大会)10000m予選12着 32分31秒18
<マラソン>
1992年1月 大阪国際女子マラソン 2位(1位は小鴨由水)2時間27分02秒(小鴨と共に当時日本最高記録)
1992年8月 北海道マラソン 4位(1位はO.アペル)2時間38分24秒
1993年3月 名古屋国際女子マラソン 2位 (1位はK.グラドゥス)2時間27分53秒
1993年8月 世界陸上(シュトゥットガルト大会)マラソン 11位(1位は浅利純子、3位は安部友恵)2時間38分04秒
松野明美と有森裕美との関係
有森裕美が銀メダルを取っても祝福する気にはなれなかった。
松野明美の当時の感想は
バルセロナオリンピックの女子マラソン中継の日、私はボロボロと涙を流しながらテレビの前にいましたね。レースを観ているようで観ていないという感じで、ただただ「私がこのコースを走っていたら‥‥」と、そればかりでした。
有森さんが(ロシアの)エゴロワさんとデッドヒートを繰り広げている時だって、「私なら絶対に抜かれない」と思ってましたよ。つい手を固く握りしめてしまい、何度も手のひらの汗をぬぐったことを、今もはっきりと覚えてます。
有森さんが銀メダルを獲得した時、私の中に込み上げてきたのは「おめでとう」ではなく、「悔しい!」という思いでした。私なら金メダルだったと、今でも言えます。勝負師であれば、当然の感情だと思います。
直接対決すれば、絶対に負けない自信があったそうです。なぜ、松野明美よりもベストタイムの悪い人が選ばれたのか、今でもわからない。「有森さんはズルイよ」という気持ちが消えなかったようです。松野明美の勝気の性格からは、当たり前に出てくる感情です。
まとめ
いまだにオリンピックの度に出てくる選考問題、なかでもマラソンが毎度のことでまたかと思ってしまいます。選手も命がけでオリンピックを目指しているので、
有森裕子が悪いとかそういう問題ではなく、これは純粋に選考の問題。
選考は同じ大会で代表候補が走って一発勝負で決めることが一番納得がいくのでしょう。
たまたまその大会でケガをしていた、体調が悪い、銚子を落としていた。家族に不幸があって練習をろくすっぽしていない。それも含めて酷ですが、コンディショニングの問題です。
タイムで順位を競うスポーツで過去の実績をうんぬんするのはナンセンス。
今この時のタイムがすべて、そういう選考にかえてほしいですね。
オリンピック選考で人生を変えてしまう選手が亡くなるように!
また代表を辞退したい選手には回りもよく意見を聞いてあげて辞退も認めてあげたらとおもいます。
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