小鴨由水さんについて
石橋貴明のスポーツ伝説…光と影
2016年5月18日(水) 21時00分~22時54分に小鴨由水さんが出演します。
女子マラソン選手です。
21歳で引退した悲運のマラソン選手です。
リオ五輪でも、女子マラソンでは一悶着があったのは記憶に新しいです。
選考レースと記録の問題です。20何年まえも現在もまったく、日本の陸連は根本的に変わっていません。
鮮烈なデビューと突然の引退、小鴨由水さんはまさしく運命にもてあそばれた選手です。
管理人は有森裕子選手や松野明美選手よりむしろ小鴨由水選手が印象に残っています。
なにかおとなしそうで、線が細いような印象がありました。
今現在は元気にされているのでしょうか?また引退の理由は本当はなんだったのでしょう。
すごく気になっていたので、調べてみました。
小鴨由水さんの今現在
2015年の情報です、ランニングの世界にはどっぷり浸っておられるようです。
ヤフオクドーム近くにキャンパスがある西日本短大健康スポーツコミュニケーション学科の非常勤講師をされています。
駅伝部の監督です。
他には小学生を対象にしたジョギング教室「kokamoキッズ」
個別指導のランニング教室の「九州ダックス」
知的障害者のジョギング教室「かものこクラブ」をボランティアに近い形で運営されています。
西日本短大の駅伝部は部員集めに苦労しているそう。
「kokamoキッズ」や「かものこクラブ」に参加しているのは10人前後です。
九州ダックスは30人前後のメンバーで基本個人指導で練習メニューも作成しているようです。
生命保険会社の生保レディーもされているので体がいくらあっても足りませんね^^
現役時代のすきまを埋めていられるのでしょうか?
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小鴨由水の家族は
2011年に御主人とは離婚されています。
2014年2月に元御主人は大動脈瘤かい離で突然死されています。
さぞかしショックでしたでしょう。離婚後も御主人とはそんなに関係は悪くなく、週に1度は家族で食事したり遊んだりしていたようです。
離婚したとはいえ心に大きな穴がポッカリ空いたようです。
いまは2人の男の子を育てるシングルマザーです。
小鴨由水プロフィール
氏名:小鴨由水(こかもゆみ)
生年月日:1971年12月26日
出身:兵庫県明石市
元女子マラソン日本最高記録保持者
1992年バルセロナオリンピック女子マラソン日本代表。
1990年兵庫県立明石南高等学校卒業後、大阪府池田市のダイハツ工業に入社。
1994年龍谷大学短期大学部に入学、1996年に短大卒業。
現在は二児の母で、福岡市在住。
小鴨由水のマラソン記録や引退の理由
自己記録
1500m 4分31秒5
3000m 9分53秒00
5000m 16分15秒00
10000m 33分10秒00
20km 1時間7分10秒
ハーフマラソン 1時間12分34秒
マラソン 2時間26分26秒
マラソン全記録
1992年1月 大阪国際女子マラソン 2時間26分26秒 優勝(当時日本最高・初マラソン世界最高記録)
1992年8月 バルセロナオリンピック女子マラソン 2時間58分18秒 29位
2000年1月 大阪国際女子マラソン 3時間24分26秒 257位
2000年2月 愛媛マラソン 3時間09分42秒 2位
2002年11月 東京国際女子マラソン 3時間19分22秒 224位
2009年1月 大阪国際女子マラソン 2時間58分52秒 58位
2009年8月 北海道マラソン 2時間52分59秒 20位
2010年1月 大阪国際女子マラソン 2時間50分30秒 26位
2011年1月 大阪国際女子マラソン 3時間00分38秒 56位
2011年11月 神戸マラソン 3時間01分33秒 8位
2012年1月 大阪国際女子マラソン 3時間07分37秒 167位
1992年1月の大阪国際女子マラソン
小鴨由水さんは初マラソンでいきなり、2時間26分26秒当時の日本女子最高タイムで優勝しました。
今から振り返ってもなぜあんなに速く走れたのかわからないよう。
これは小鴨由水のマラソン全記録を見れば一目瞭然。1992年の大阪マラソンの記録が飛びぬけていますね。
もしはありませんが、大阪国際女子マラソンの記録がそのまま、出ていたら金メダルの記録。
バルセロナオリンピックのロシアのエゴロア選手の優勝タイムが2時間39分41秒です。
もちろん大阪女子は冬のレース、バルセロナは夏のレースなので比較はできません。
彼女のピークが大阪国際女子マラソンであったという事実ですね。
神様のいたずらとしか言えません。
初マラソンとはいえ、文句のない成績からバルセロナ五輪代表に選出されました。
それでも想定外ともいえる小鴨由水の代表選出は、松野明美と有森裕子の代表争いの騒動を呼ぶきっかけともなってしまいました。子鴨由水はただ一生懸命に走っただけ。
何も悪くはないですね。
小鴨自身も「まさか自分が五輪代表選手になれるとは夢にも思わなかった」と、当時は嬉しさよりも戸惑いの方が大きかったといいます。
またゴール直後には、当時のダイハツ・鈴木従道監督から「君は(浅利の)ペースメーカーだったんだよ」と、暗に彼女の優勝は望んでいなかったようなことを言われたともされる。
正直だともいおもいますが、監督の言葉も配慮が無いです。
まだ20歳であった小鴨由水さんは、一躍時代の寵児に
バルセロナオリンピック代表にも決定したのです。
「プレッシャーは半端でなかったそう。しかも20歳の少女といってもいい年頃」
プレッシャーに押しつぶされ、どんなに練習で疲れていても、夜眠れなかったそうです。
疲れが取れないまま練習を続けタイムも伸びずますます追い込まれる。精神的にも肉体的にも追い詰められ、もう来たるべきオリンピックでの成績29位は走る前からわかっていたそうです。
オリンピックの不振でバッシングも受けたそうです。
オリンピック翌年21歳でにひっそり引退しました。
もう仕事で走ることが嫌になってしまったそうです。でもそうさせたのはまわりの大人ですね。もう少し好い指導者に恵まれたら、小鴨由水さんのマラソン人生も変わっていたかも。
1992年大阪国際女子マラソン
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