日本テレビ系 6月22日(水)
1億人の大質問!?笑ってコラえて!
『名前の旅』では多彩な才能を持つ「佐賀のダ・ヴィンチ」
馬場憲治(板金職人)が紹介されます。
馬場憲治の技術でゼロ戦を復元
佐賀商業高校出身のプロ野球選手・石丸進一をモデルにした映画『人間の翼』のロケで使われたゼロ戦の模型を、映画上映10年、戦後60年の節目に復元する計画が持ち上がり、俳優の藤岡弘、漫画家の松本零士らによる復元実行委員会から復元作業の依頼を受けました。
父が海軍でゼロ戦の整備に携わっていたこともありこれを快諾。
父親が残した尺寸で書かれた設計図と、福岡県の元兵士らで組織する「ゼロ戦会」から贈られた当時の詳細な設計図を元に、ベニヤ製だった従来の模型をジュラルミン製に改良しコックピットも忠実に再現
さらにエンジン代わりの発動機も取り付けプロペラが回るようにして約2年の歳月をかけ完成させた。
全長10m、両翼の幅は12mの実物大で、2年の歳月をかけただけあり、機首に搭載された発動機によってエンジン音を響かせるこの模型機は高い完成度を誇っています。
青森県三沢市の青森県立三沢航空科学館に展示された際には約2年間で10万人の見学者が訪れて大人気となりました。
その後、映画『永遠の0』の撮影にも使われているのです。
馬場憲治の経歴
馬場憲治さんは『馬場ボディー』という板金会社を若くして設立
多彩な才能を発揮、板金、塗装、塗料の1級技能士や2級自動車整備士免許など26の国家資格を持つ技術も持っている魅力ある職人さんです。
氏名:馬場憲治
生年:昭和23年、三田川町生まれ
学歴:佐賀学園高校卒業
略歴:
福岡の自動車修理工場に5年間勤め、
自動車修理工場勤務中はひたすら板金技術を究めたそうです。
その後「馬場ボディー」を創業
昭和57年、1/20サイズの エッフェル塔を建設し話題に。昭和59年に階段昇降車イスの開発で国際特許を取得、昭和61年にはスプレー画で日仏現代美術展に入選するなど、多彩な才能 を発揮。
平成11年にはアジアマスターズ陸上競技・男子棒高跳びの部で優勝。
平成17年、ゼロ戦の復元模型を完成させる。
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馬場憲治の他の作品
「階段昇降車いす」の発明で国際特許を取ったり、得意の「階段昇降車いす」の発明で国際特許を取ったり、得意のスプレー画でいくつもの美術賞に輝くなど、馬場さんはそのマルチな才能を多方面で発揮している。
(5000回以上のやり直しで完成!!)マリリンモンロー
スプレーアートや絵画はニューヨークの賞も獲得するほど評価されています。
マリリン・モンローの作品に至っては、5000回以上も描き直し、気づくと、左手でも描けるほどになってしまったそうです。
ミニエッフェル塔(暇だったから?作ってしまった!)
「フランス旅行で目にしたエッフェル塔の完成度と形の美しさに刺激され、
板金技術の腕試しも兼ねて1982年に工場の敷地内に約17メートルのエッフェル塔を建設」したとのことです。最初に作ったこの塔は工場移転で取り壊され、現在の塔は2代目。
佐賀新聞によると「不況で暇だったから」という理由で建設に着手したとのこと。
馬場憲治さんらしいエピソード、でも作る限りは一切手抜き
はありません。常にプロとして完璧をめざします。
凝り性という言葉でもいい表すことがはばかられますね。
「佐賀には都会にはないおいしい空気と静かな環境があります。その2つがあるからこそ、仕事や創作活動に集中できるんです。若い人の中には『佐賀には何も無い』という人もいますが、あって当たり前だと思っているものにこそ、本当の価値があるんですよ」
馬場さんの旺盛な創作意欲を支えているもののひとつには、生まれ育ったふるさと・佐賀の環境がありました。
「佐賀には都会にはないおいしい空気と静かな環境があります。その2つがあるからこそ、仕事や創作活動に集中できるんです。若い人の中には『佐賀には何も無い』という人もいますが、あって当たり前だと思っているものにこそ、本当の価値があるんですよ」
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