上條恒彦の妻悦子と息子
8月7日 徹子の部屋 ゲストは俳優歌手の上條恒彦さんと奥さんの悦子さんです。
上條恒彦さんは30年ほど前に長野県八ヶ岳山麓に移住。
奥さんの悦子さんは赤毛のアンを夢見ての移住だったのですが、厳しい自然環境がそんな夢を砕きました。
とにかく八ヶ岳山麓の冬は厳しいのです。
悦子さんはその冬に涙した事もあるようです。
上條恒彦の息子について
1969年生まれの長男、恒さん、舞台を中心に俳優、脚本・演出家をしています。
1970年生まれの次男、契さん、
3男がいて
4男は駿さんです。
とも、芸能人ではないようです。
合計6人の子供
初婚で2人の男の子
再婚で4人の男の子がいます。
長男の恒さんによると
特徴のある大きな声が子供だった恒さんには恐ろしく感じられた。
叱られたくない一心で、嫌だと思ったことを打ち明けられないことも度々ありました。
小学校に入るころ「将来、お百姓さんになりたい」と言ったことが。
近所の農家の人に親切にしてもらい、何気なく言った一言だった。長野県の農家で育った恒彦さん。夏休みになると恒さんに、親戚の農家で農作業をさせた。早朝から畑の草むしりや、トマト、桃の収穫。中学校3年までの9年間、毎年続いた。
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「本当は東京で友達と遊びたかった。でも、言い出したのは自分。嫌だと言うことは許されなかった」
父は厳しかった。 小学6年のとき、恒彦さんと母親が離婚。1歳下の弟と恒彦さんに引き取られた。
母親恋しさで泣く弟をなだめる毎日。自身の気持ちは封印し、「離婚は仕方がない。僕たち兄弟もそれぞれ1人で生きていくんだ」と考えるようにしたのです。
17歳のとき、恒彦さんが再婚したのだ。その後、大げんかになり、家を飛び出した。
「再婚についてきちんと言ってもらえなかったことが腹立たしかった。けんかの理由はささいなことだったが、父への不満が爆発した」
再婚後にできた4人の弟には別人のように優しい父親に。テレビ番組で、前妻の子供である恒さんと弟を「失敗作」と語ったこともある。深く傷付き、一時は恒彦さんと面と向かって話すことができずにいました。
「許せないことは山ほどあるが、それが私の父親。僕にとっての父は、怖くて厳しい父親しかいない」
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上條悦子のプロフィール
上條悦子 : 山口県岩国市に生まれ、3歳から大阪で育ちました。
1983年、歌手で俳優の上條恒彦と結婚。
上條恒彦は離婚して子供を引き取っていました。
1987年に東京から八ヶ岳のふもとに移り住み、4人の男の子を育てます。
1999年、三鷹の森ジブリ美術館の開館準備開始にともないカフェ「麦わらぼうし」のインテリアからメニューまで任されます。
【後記】
離婚した前の奥さんの子供のことを失敗作と言われると子供としては深く傷つきます。
離婚した元妻にたとえ、怨念があってもです。
子供にはなんの罪もないから。
本当に上條恒彦さんがどういう意図で”失敗作”といったか知りたいです。
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