小山薫堂が下鴨茶寮を経営したのはなぜ?結婚相手は【アナザースカイ】

アナザースカイII放送作家・脚本家の小山薫堂が京都の学びを案内。発想の源とは?

2020年4月24日(金)  23時00分~23時30分

放送作家・脚本家の小山薫堂さんが出演します。

 

2012年、僕は京都の料亭「下鴨茶寮」の経営を先代から引き継ぎました。
京都の人は「しもちゃ」といいいます
下鴨茶寮「主人」として、ここで開催されるイベントに参加することもあり、2週間に3日は京都で過ごしているようです。下鴨茶寮のロケーションは最高。
かなりの高級店で、気楽に食事でもという雰囲気ではなく。
いまはどうか不明ですが、京都の定期観光バスが乗りいてていたので、そのコースの食事で気軽に下鴨茶寮を体験できました。
比叡山を借景とした老舗料亭。
下鴨神社のすぐそば、鴨川へと流れゆく高野川沿いにある1856(安政三)年創業の老舗。
清流の向こうには比叡連峰の山並みを望む、風光明媚なロケーションです。
店内にはテーブル席、座敷、大広間、そして本格的な数寄屋造りの茶室も設けられているので、幅広いシチュエーションで楽しめます。料理のモットーは、その土地で採れたものをその土地伝来の方法で調理する「土産土法」。
京野菜をはじめとする旬の食材を使い、京料理の基本を大切にしながら京都らしさを感じる品々にしつらえやサービスなど細部にまで宿る、京都独自の歴史と伝統にも注目です。
なぜ「下鴨茶寮」なのか?
小山薫堂さんはもともと京都が好きだった。
昔父が貸衣装をやっていた関係で、花嫁衣装の仕入れに祖母や母とよく西陣を訪ねていましたらしい。大学受験は同志社大学を受験したくらい。
でも京都より女の子を選んで東京の大学に行ってしまった。
大学時代も京都のバーにボトルキープをしていて、よく飲みにいきました。ボトルを1本入れておくだけで、その街が身近に感じられるんですよね。
経営を引き継いだと言いましたけど、当初から「料亭」というものを深く理解していたわけではないんです。
下鴨茶寮でのイベント時、主人としてご挨拶
ただ、そこはただの料理屋さんではなく、文化と歴史が背景にあって、人と人とが出会うサロン的な機能を果たす魅力的な場所であることは知っていた。
ですから「料亭のブランディングに興味はありませんか?」と先代女将から声をかけていただいたとき、すごく面白そうだなと思ったようだ。
ところが、ブランディングだけではなく、継いでほしいという話になって
最初は絶対に無理だと思った。
本当は小山薫堂さんは彼の友人を下鴨茶寮の経営を紹介しようと思ったらしい。
だんだんと「無理をしてでも、この未知なる挑戦に取り組むべきではないか」という想いが小山薫堂さんに強くなった。
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和食は世界でも空前のブームであった。インバウンドの追い風もあった。もし下鴨茶寮のオーナーになれば、江戸時代・安政3年の創業以来157年の歴史を持つ老舗料亭下鴨茶寮を舞台に、和食や日本文化を世界に発信できる、つまり世界へと続く道が開けるんじゃないかと漠然と考えたから。
ほかは難しいことは考えませんようだ。またひとつ自分の楽しみが増える、誰かを喜ばせるツールが増えるという感覚で、京都で成功しようとかいう野心はみじんも持っていなかったらしい。
すべては守りと攻めのバランス
先代の女将からは、「伝統とは革新の連続である」というあるお茶人の言葉を受け取りました。小山さんは京都の伝統を継承し、進化させ、未来へとつなげる人でありたいと考えている。

小山薫堂の結婚相手は

小山薫堂(こやまくんどう)さんですが、結婚して奥さんはいる。素性はわかりません。プライベートは全く出さない人なのかも。

お子さんもいる様子ですが男女の別や年齢も不明。

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小山薫堂の経歴は

誕生日1964年
出身地熊本県天草市
小山薫堂の別名:うどん熊奴は小山薫堂のよみをヒックリ返して逆に読んだもの。

放送作家。脚本家。京都造形芸術大学副学長。1964年6月23日熊本県天草市生まれ。日本大学芸術学部放送学科在籍中に放送作家としての活動を開始。

「料理の鉄人」「カノッサの屈辱」など斬新なテレビ番組を数多く企画。脚本を担当した映画「おくりびと」で第32回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第81回米アカデミー賞外国語部門賞を獲得。執筆活動の他、地域・企業のプロジェクトアドバイザーなどを務める。熊本県のPRキャラクター「くまモン」の生みの親でもある。

 

50’sファッションのアパレルを大成功させた山崎眞行さんというカリスマがいた。原宿「キャットストリート」の名付け親でもあり、『原宿ゴールドラッシュ』という本のモデルにもなった人です。
小山薫堂さんは『11PM』で山崎さんを特集したことをきっかけに仲良くなったんですが、自分の企画について相談すると、「発信するなら竹下通りだ」というアドバイスをくれた。

 

で「セーラーズを超える!」を合言葉に、吉田照美さんと共同でアパレルショップ「バナナトリップ」を原宿の竹下通りにオープンした。小山薫堂さんが大学4年になったばかりのころでした。

開店当初こそ盛況だったけれど、1カ月後には閑古鳥。
僕は店長兼商品企画部長という立場(名刺はチーフコーディネーター)だったのですが、2階にある店の窓から路上の人波を見つめながら、「なぜあんなに人がたくさん歩いているのに、店には人が入ってこないんだろう」とぼうぜんとしていましたらしい。
そのうち売り上げゼロという日も出始めた。しまいにはひとりのお客さんも来ない日まで出てきて、10カ月でやむなく閉店した失敗の過去が。

 

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