川島実の今現在僧侶?元ボクサーで医師経歴は?仏門に入った理由は

12月22日爆報!THE フライデー
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川島実さんが出演します。

川島実は京都大学医学部在学中に、大学入学後、
体を鍛える目的で偶然始めたボクシングで頭角を現し、
6年時(1998年)にプロ合格をしました。

当時京大生ボクサーとして注目を集め、大学6年次には
プロテストに合格しました。
その後プロボクサーとして29歳まで活躍。

医師国家試験にも合格し、震災後宮城県気仙沼市立
本吉病院長に就任しました。

2014年には在家2014年秋、仏門に入りました。

川島実プロフィール

氏名:川島実 1974年8月1日 生まれ

京都府長岡京市生まれ、奈良県奈良市育ち。
東大寺学園高校を経て京都大学医学部医学科へ進学

ボクシングを始めたのは大学1年の時。東大寺学園中高(奈良)では
バレーボールに励みましたが、今度は個人スポーツを、
とボクシング部に入部。

相手を研究し、試合を組み立てる能力にたけていたのです。
ただ、最も集中したのは、自分の体に向き合うことでした。

医学部の講義で出会った「体性感覚」という言葉にひかれたのです。
視覚や聴覚ではなく、「体の内にある感覚に耳を傾ける」
ということでした。

速く強いパンチを出すためのこぶしの角度や力の入れ方。
一般論に流されず、体と対話する度に上達したのです。

「現役医学部生ボクサー」として注目を集め、
西日本新人王(ウェルター級)・MVPに輝いています。

東日本大震災の発生後はボランティア医療のため、
常勤医不在の宮城県気仙沼市立本吉病院へ、
勤務地の山形県から片道4時間かけて毎週末通い詰め、
地域医療を3年かけて立て直しました。

不在だった院長就任を依頼され、2011年10月就任。
医療体制に道筋をつけて2014年3月退任、現在は奈良に帰りフリーの医師。

 

得度の理由

川島実の母はクリスチャンでもともと宗教にはなじみはありました。
彼にとって東大寺が経営する東大寺学園高に通い、
大仏様はずっと身近な存在なのでした。

得度は、高校の部活の先輩である
東大寺の森本公穣さん(清凉院住職、学園常任理事)
との縁がきっかけです。

川島実は東日本大震災後、勤務医が全員辞職した
宮城県気仙沼市立本吉病院の病院の院長を頼まれて院内診察に加え、

自宅も車も失って通えない人の住まいに伺って
在宅医療を始めていました。

東大寺の森本公穣さんが川島実の活動を知って、
気仙沼を訪れたときのこと(約20年めの再会でした)

森本さんは学園の生徒を引率して何度も被災地に来たそうです。
川島実医師はいつも坊主頭で作務衣だったので

「その格好なら得度してみないか。仕事の支えにもなる」
と誘われたのがきっかけです。

正確には得度しているが、僧侶として仕事を
しているわけではない。

◎以前から般若心経の写経もしていた
◎医師として亡くなった方に手を合わせることも多く、関心を持った。
◎病院のスタッフが育ったことから院長を引退し、
奈良に帰ったのを機に、川島実は得度しました。

まとめ

ある先輩の医師は、患者さんが死亡すると、
必ず頭を下げて謝罪をしていましたが川島実医師には
違和感がありました。

川島実医師は今では「死んでしまった人は仏様だから手を合わせるものでは」
と思い、必ず合掌しているそうです。

やがて「患者さんは全て仏様」と思うようになりました。
日頃お付き合いしていた人が次々と亡くなっていくのです。
通常の感覚では耐えられません。

彼がそう思ったのは、自分の心を守るためと思います。
七五三まで「子どもは神のうち」と言うように、
病気で生と死の境界にいる人たちも同じではないでしょうか。

という気持ちを川島医師は持っています。

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