水橋春夫は元ジャックスにいた!及川眠子一押しのプロデューサー

アウト×デラックス【ネッシーとオリバー君でボロもうけした伝説の男・康芳夫】

2016年8月4日(木)  23時00分~23時30分

で作詞家及川眠子が一押しのアウトなプロデューサー

及川眠子さんといえば「残酷な天使のテーゼ」で有名です。

最近ではトルコ人の夫のために7000万円の負債を負ったことをカミングアウト。

水橋春夫さんです。

ジャックスの音楽性評価

ジャックスの特徴は、若者の心の内面の悩みや葛藤を時には前衛的な言葉で表現する歌詞と早川の情念的な歌唱、そして、木田のジャズを指向した音作りにある。

当時の音楽界では、商業的に大衆の嗜好に焦点を合わせがちなグループ・サウンズと、直截的な歌詞と演奏が主体であったフォークソングが若者の間に支持されており、一部の熱狂的なファンを除き、ジャックスが一般的な支持を受けることはなかった。のちに早川は解散の理由について、「率直に言って、解散の最大の理由は売れなかったこと。もう少し売れていれば解散しなかったと思う」と述べている。

一線を画した独自の精神性や思想性のある音楽活動は、むしろ、演劇界におけるアンダーグラウンド(アングラ演劇)に近いものがあった。

しかし、プログレッシブ・ロックを思わせるジャックスの楽曲と活動は、後に、フォーク・クルセダーズ、はっぴいえんどと並んで、欧米の模倣ではない「日本のニューロック」に先鞭をつけたバンドとして再評価を受け、現在では高い評価を得ている。

 

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水橋春夫さんは、60年代後半に、和光高校で1年先輩にあたる早川義夫と出会っている。それが“ジャックス”というグループの結成のもとになる。和光の キャンパスは、ミッキー・カーチス、田辺靖男、寺尾聡、そして田島貴男、フリッパーズ・ギターの小山田圭吾、小沢健二も輩出している。

 

リード・ギターとして水橋が加入したジャックスには、ヴォーカル・サイドギターの早川、ベースの谷野ひとし、ドラムの木田高介がいました。

 

結成3ヶ月で YAMAHAの第1回LMC(ライト・ミュージック・コンテスト)というアマチュアの全国コンテストに出場。フォーク部門で第2位入賞、グループ・サウン ズとしても高く評価され、審査員の中にいたジャズ・ミュージシャン渡辺貞夫は殊にジャックスを高く評価し、ジャズのマイナー・レーベル、タクトからデ ビューすることになります。

 

短い2年ほどの活動期間、何故、今も語り続けられるのだろうか?ジャックスの排他的かつエゴイスティックな存在は光っていた。結局 は誰のいうことも聞かないキャラクターが、このグループを維持させていたのだと思う。

 

水橋春夫さんはその後、テイチク、キング、ポリスターの制作マンとして活躍する。そしてジャックスから48年を経て、再びギターを持ちました。

 

1988年暮れ、牧村 憲一さんは思わぬところからレコード会社に就職することになる。面接?は1分、即契約が決まった。

「会社内が妙に沸き立っていることに気付いたそうです。それはWinkの「愛が止まらない」のヒットのせいであり、元ジャックスのリード・ギター、水橋春夫さんの仕事であった。これが幸運の始まりだった。」と書いたことがある。それは四半世紀経った今も全く変わらない思いだ。

 

水橋春夫さんはその後、テイチク、キング、ポリスターの制作マンとして活躍する。そしてジャックスから48年を経て、再びギターを持った。欠け落ちた期間

だが何事もないように時間はつながっています。

全て感覚的に仕事をこなしてきた水橋春夫さんはジャックスに加入した時も、突然プロデューサーを引き受けた時もまたソロアルバムをリリースした時も感覚的淡々とに仕事をこなしています。

それがアウトなプロデューサーというとらえ方に繋がっていくのでしょうか。

本日の放送を楽しみにしています。

 

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