7月15日(金)の徹子の部屋では
歌手で女優の坂本スミ子さんの出演です。
娘の石井聖子さんとの登場です。坂本スミ子が一番のファンという
娘さんとの共演です。
坂本スミ子の現在
現在は、夫の母の後を継ぎ、聖母保育園幼愛園(熊本県熊本市)園長となり、園長の傍ら、歌手/女優業を続けています。ただし坂本スミ子さんが保育所に出勤
することはほとんどないそうです、保育所は人に任せているようです。
石井寿美子とあるのは旦那さんの姓です。
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坂本スミ子経歴
氏名:石井寿美子
生年月日:1936年11月25日(79歳)
大阪府大阪市東住吉区出身。
根っからの大阪人です。
学生時代から発声をクラシックの木下保のもとで学び、プール女学院高等部卒業。
プール女学院時代の同級生には、女優の三ツ矢歌子がいました。
NHK大阪合唱団を経て、大阪キューバン・ボーイズの近藤正春の勧めでラテン歌手として独立、デビュー。
宝とも子らと共に「ラテンの女王」の異名を取ったが、当初は歌手として全く売れず、鳴かずとばずでした。
私生活ではこの頃、映画評論家でもあり、当時人気司会者であった栗原玲児と結婚するも、1966年離婚。栗原はその後料理研究家の栗原はるみと再婚していいます。
一方の坂本は1971年、ソニー移籍第一弾である『夜が明けて』がヒットしました。
1973年には、再婚相手である皮膚科医の石井禮次郎との子である石井聖子を出産。
第4回東京音楽祭で、シルバーカナリー賞、外国審査団賞獲得(歌唱曲は『幼い子供のように』)。
歌手活動のみならず、女優としても活躍し、ミュージカル『キャバレー』では1982年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。
映画では1964年から1967年、大映で田宮二郎主演の犬シリーズに助演したのをはじめ、今村昌平監督作品の常連としても知られています。
今村作品では『”エロ事師たち”より 人類学入門』(1966年)で、毎日映画コンクール助演女優賞獲得。
また、代役主演した『楢山節考』(1983年)では、当時実年齢の30も上回る70代の老女を演じるにあたり、前歯を短く削り歯が抜けたように見えるような演出に臨み、その演技も評価されています。
実際この演技は評価に値する素晴らしい演技であったと思います。
結果『楢山節考』は、第36回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞し帰国するも、坂本を待ち構えていたのは、カンヌの吉報についての取材ではなく、吉報直後 に判明した、大麻を友人(有名作詞家の弟のカメラマン)に譲渡したという疑惑についての取材であり、坂本はこの事件で、一時表舞台から姿を消した。
現在は、夫の母の後を継ぎ、聖母保育園幼稚園・幼愛園(熊本県熊本市)園長となる傍ら、歌手・女優業を続けている。
2009年5月、脳梗塞で倒れるが早期発見だったこともあり、3ヶ月後には舞台復帰を果たした。
近年は、坂本が「私が一番のファン」と自任している、愛娘・石井聖子との競演が多い。
2008年に発売した坂本の50周年アルバムには「夢で逢いましょう」「親を眠らす子守唄」の2曲が二人のデュエットで収録されています。
映画楢山節考
緒方拳と坂本スミ子
最初は70代の女優をキャスティングしていたが今村昌平監督の違和感が原因で降りてもらったようです。女優さんの名前は明らかになっていません。
最初の女優さんに降りてもらった前なのか後なのか、時期的にいつの段階での話か不明確ですが、おりん役として最初に名前が挙がったのは、おかね役で出ている清川虹子さんだったようです。
しかし、清川さんはかなり体重が重く、おりんを背負う事になる緒形拳さんが、その頃、腰を痛めておられたと言う事もあり、このキャスティングは流れました。
杉村春子さんのお名前も挙がったようですが、これも、イメージが合わないと言う事で却下、原作通り、山梨の石和地方の温泉の芸者さんを捜しに行った事も あったそうですが、結局、上山田温泉で、イメージにぴったりの70歳の芸者さんを見つけたらしいのですが、出演依頼をしたものの断られてしまったそうで す。
おスミこと坂本スミ子さんは、お芝居も出来る歌手として、30代くらいの頃までは頻繁にテレビでお見かけしている方でしたが、「楢山節考」に主演された頃 は、少しテレビ等への露出が減っていった時期でした。当時45歳の坂本スミ子さんが、70代のおばあさんの役をやると話題になりました。
歯を削ったりして役作りにも気を使ったようです。
坂本スミ子 『夜が明けて』
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