『歴史秘話ヒストリア』二・二六事件奇跡の脱出劇岡田首相のケース


史秘話ヒストリア』二・二六事件奇跡の脱出劇

2月24日(水)歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビ 22:00より放送

「二・二六事件奇跡の救出劇」

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【二・二六事件とは】

陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(陸軍幼年学校・旧制中学校から陸軍士官学校に進み任官した、20歳代の隊付の現役大尉・中尉・少尉達)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、

武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えのもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起します。

 

将校は近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠しました。

そのうえで、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。軍と政府は、彼らを「叛乱軍(反乱軍)」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。叛乱(反乱)将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。事件の首謀者は銃殺刑に処された。

これが、226事件の概要。

【二・二六プロローグ】

実は二・二六事件の約半年前に重要な事件がおこります。二・二六事件を引き起こすスイッチの役割を果たした事件(相沢事件)

1935年8月12日、統制派の永田鉄山少将が皇道派の相沢中佐に殺害される。これを契機に皇道派の青年将校が二・二六事件にまい進する大きなきっかけとなりました。

【永田鉄山少将】

永田少将が事件に遭遇していなければ、日本が太平洋戦争に突入しなかった。という研究者もいます。永田鉄山の後継者は東条英機、永田鉄山が存命ならば、東条英機が頭角を表せなかった可能性があるため。

それほど当時の日本にとって大きな意味を持つ事件でした。

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【二・二六当日岡田啓介首相】

、義弟が殺害されています。義弟はたまたま容姿・体格が似ていた上、顔を撃たれて容姿の判別が困難で、将校達は首相を殺害した物と思い込んで撤退していったのです。
その後、総理が生きていたと知った秘書官らの機転で反乱鎮圧まで生き延びました。

秘書で義弟の松尾伝蔵が乗り込んできた一団の
異様さを見抜き
「私が岡田だ」と身代わりになって殺害されています。松尾秘書は顔をうたれて、顔の判別がつかなかったといいます。また岡田首相と直接会ったことのある人間は、反乱軍には誰もいなかったという事も、岡田首相には幸いしました。

岡田首相は陸軍反乱兵300人に狙われ、本人は押し入れに朝まで隠れていたといわれます。

朝まで隠れていた(風呂場とも言われる)岡田啓介は
周囲を厳重な監視で囲まれている中
「岡田氏死亡」の報に接して訪れた弔問客の中に
紛れて辛くも脱出に成功するという有様でした。

多くの首相側近にの犠牲者や協力者のおかげで

岡田首相は命からがら、首相官邸から脱出します。

これがだいたいの事件の顛末。青年将校が決起した状況も切羽ずまった状況でした。決起した青年将校や兵士の中には、そういう貧困層の人もいたため、統制派が財閥と結びついて日本をダメににていると決起した理由が大きいです。

まとめ

日本が太平洋戦争へと突入するきっかけとなった事件。日本史の中で大きな意味を持った事件です。

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