徳川家康の本ヲタとは天下を取った方法は「歴史秘話ヒストリア」

いえやす2

「歴史秘話ヒストリア」ワシはこれで天下をとりました。

2016年2月10日 NHK 総合 22:00~

あらすじ

戦国の世を制した徳川家康、織田信長・豊臣秀吉のようなカリスマ性のゼロの家康が武器にしたのが“本”でした。エラソーな訓 示のネタ元から政戦両略のヒントまで何でもカンでも「吾妻鏡」「論語」など本、本、本!しかし、本の知識ではどうにもならない事態に直面した家康が、最後 に頼ったものとは?

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徳川家康が本好き?

これは時代劇でも観たことがありません。信長ほど激しくもなく、秀吉ほどサクセスストーリーもない家康です。それをカバーするため本ヲタになったとはおもえませんが、先人の知恵をかりて天下を取ったのであれば、すごくりにかなった話です。あくまでその後の時代が作った家康像はまったく本好きなどみじんもありません。

では番組がいう秘話・・・家康はどんな本を読んでいたのか?

「吾妻鏡」・・・源頼朝の戦い方を参考にした。

『吾妻鏡』は、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの87年間を描く。その記述は1180年(治承4年)4月、以仁王の令旨が伊豆の北条館に届くところから始まり、1266年(文永3年)7月20日に第6代将軍・宗尊親王が京都に到着して将軍を辞官するところで終わる。主な内容は治承・寿永の乱と平氏政権の滅亡、鎌倉幕府の成立、承久の乱、執権政治の始まり、1246年(寛元4年)の宮騒動と翌年の宝治合戦、得宗支配の確立などである。全体は将軍の年代記として記述されている。

 

 

「論語」・・・いわずとしれた孔子の作 倫理を説いたもの家臣への訓示に使ったのか

今でいう朝礼用の本、社長が訓示をするイメージでしょうか。

【家康の一般的イメージ】

●気が長い。鳴くまで待とうホトトギスの俳句のイメージ

●漢方薬がすき・・・よくすり鉢で何かをすりつぶしているシーンをみます。このシーンはどのドラマでも結構出てきます。

●結構本当は臆病?慎重?なのか

元亀4年(1572)12月22日午後4時頃、浜松城北方の三方ヶ原台地の西北端付近で起こった「三方ヵ原の戦い」で武田軍約2万5千、徳川軍約8千に織田の援軍約3千
午後5時半頃に徳川軍総崩れ、家康は命からがら浜松城にへと撤退。追撃してきた武田軍の山県昌景、馬場信春らは、浜松城の大手門が大きく押し開かれ、内外に篝火が焚かせてあるため、何か計略があるのではないかと危ぶみ、攻撃を見合わせて兵を引いたと伝えられています。

このとき敗走する家康が恐怖のあまり馬上で脱糞、家臣の指摘を受けた家康が「腰弁当の焼き味噌」と苦し紛れの言い訳をした逸話があります。いまでは確かめようがないですが、信ぴょう性が高いです。この敗戦で家康はいろいろな事を学んだようです。とてつもなく強い武将がいることを。

しかし数を見てみれば、武田2万5千 徳川・織田1万1千は武田軍の半数にも達していませんね。これでは勝てないと思うのは私だけでしょうか?

まとめ

これらの本をいろいろ勉強しても対処できない事項とは・・・番組で出てくるようですね。

要チェックです。

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