中本愛子と林恵子北朝鮮帰国事業に翻弄された運命【ガイアの夜明け】


ガイアの夜明け【北朝鮮潜入!経済制裁下で1年の独自取材!】

2020年1月21日(火)  22時00分~22時54分  テレビ東京系列

 

ガイアの夜明けの番組では、朝鮮のさまざまな機関と交渉を続け、市民生活だけでなく農場・工場・施設など合わせて28カ所を取材。

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いままで、北朝鮮に住む日本人妻の実態は謎に包まれてきた。その一人中本愛子さんは、年60年前に海を渡った。今年生存が妹の林恵子さんに伝えられ、妹は訪朝を決意。2年前58年ぶりに涙の再会を果たした。

帰国当初、3年たてば里帰りできると言われ、在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡った日本人妻の中本愛子さん。彼女だけでなく、ほとんどの日本人妻は帰国できていない現状。

中本愛子さん(86当時)は、家族と音信不通になっていた。我々は熊本に住む妹を探しだし、姉の存在を伝えると訪朝を決意した。58年ぶりの再会に姉妹は号泣。初めて会う北朝鮮の親戚たち。「家族が自由に行き来できたら」そんな願いの実現に向け妹は動き出した。

日本人妻の取材では、昨年に続いて熊本在住の妹の、咸興(ハムン)で暮らす姉の中本愛子さん訪問に同行。中本さんの孫息子の、結婚式の一部始終も撮影しました。

国連安保理などによる厳しい制裁を受けながらも、緩やかな経済発展をしてきた朝鮮。それは、金正恩(キム・ジョンウン)委員長による大胆な改革によるものだった。

林恵子さんが、朝鮮人と結婚して北朝鮮に渡った姉中本愛子さんと再会した。林さんが姉に、両親の墓の写真や、日本の映像を見せた。林さんの姉が、千昌夫「北国の春」を歌った。

中本愛子さんの娘の北朝鮮人が、日本が我が国を植民地にして朝鮮人民を弾圧してり苦しめたことを思うと、敵意が強くわくと述べた。
このように未だに日本人に対する敵意はすざましいものがある。

敵意は遺伝子レベルで、子供の頃からの教育で叩き込まれるので一朝一夕には消えない。

林さんと姉の家族が、米朝首脳会談やトランプ大統領の印象について語った。

60年前に「地上の楽園」と宣伝された帰国事業で、北朝鮮に渡った「日本人妻」たち。
帰国事業として、日本が国をあげて推進した事業。

今の世では北朝鮮のことをこの世の楽園と思う人などおそらくいないでしょう。

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北朝鮮帰国事業とは?

北朝鮮帰国事業 赤十字国際委員会(ICRC)の仲介で日朝両政府が推進し、在日朝鮮人らが北朝鮮に渡った事業。1959年12月14日に新潟港から最初の帰国船が出港し、84年までに9万3340人が「帰国」した。これにはもちろん日本政府の在日韓国人を厄介払いするという思惑が働いていたのは言うまでもない。

大半は韓国地域出身者とその家族で、日本国籍の配偶者や子供約6700人も含まれていた。
北朝鮮は「地上の楽園」と宣伝し、貧困に苦しむ在日朝鮮人の「帰国」機運を盛り上げた。

韓国に対する社会主義体制の優位性をアピールするとともに、日韓の離間を図る目的や、朝鮮戦争後の労働力、技術力不足を補う狙いもあったとされる。在日朝鮮人を不穏な勢力と見なしていた日本政府は生活保護の財政負担もあり「厄介払い」の思惑で推進。政界やメディアなども「人道措置」として後押しした。

日朝両政府が推進し、1959年から25年間で約9万3000人の在日朝鮮人らが北朝鮮に渡った帰国事業の開始から昨年12月で60年となった。

「地上の楽園」と信じて北朝鮮に渡航したものの、苦難を味わった人が少なくないとされるが、日本や韓国に脱北した人は一握り。
帰国者の多くは北朝鮮で死亡、または高齢化しており、日朝間で翻弄(ほんろう)された人生は歴史の中に忘れ去られつつある。

◇打ち砕かれた希望
「見るもの、すること、全てがつらかった。後悔とかいろいろな感情があった」。17日に東京都内でシンポジウムが開かれ、14歳だった72年に21歳の姉と共に北朝鮮に渡り、2001年に脱北、02年に日本に戻った東京都出身の石川学さん(61)はこう振り返った。

「生活レベルも知識水準も全て違う」と衝撃を受けたが、「地元の人間に信頼されないと生きていけない」と現地の女性と結婚し、設計事務所で働いた。しかし、姉は74年ごろから心を病んで入退院を繰り返し、91年に死亡した。

日本で大学に行けなかった姉は「祖国では老若男女誰でも学べる」という宣伝を信じて渡航したが、到着後、当局者に「女がこの年で大学なんか行けるわけない」と希望を打ち砕かれたという。

在日朝鮮人らの盛大な見送りの中、紙テープを引き船出する北朝鮮帰国者たち=1971年5月、新潟市の新潟港
在日朝鮮人らの盛大な見送りの中、紙テープを引き船出する北朝鮮帰国者たち=1971年5月、新潟市の新潟港

日本からの仕送りは90年代に入って途絶えた。「苦難の行軍」と呼ばれた90年代後半の食料難では「仕送りがあった時期に買った冷蔵庫やテレビ、マットレスまで売り、食いつないだ」。自身は生き延びたが、餓死した帰国者もいた。

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◇どこに行っても「よそ者」
日本からの仕送りで相対的に豊かな生活を送れた人もいた半面、「よそ者」としてねたみや差別を受けた人もいた。母ときょうだい4人で60年に渡航した福岡市出身のキム・ルンシルさん(72)は帰国者の男性と結婚し、現地の人とは親しく付き合わなかった。

帰国者の知人が何人も政治犯収容所に送られたため、「現地の人は、帰国者が変な発言をするとすぐ密告する。帰国者はそういうことをしない」と、帰国者同士で集まり、日本の歌を歌ってつらい日々を忘れようとしたという。

脱北者への定着支援制度がある韓国と違い、日本にはそうした制度はない。「日本で生まれ育ち、母は日本人。韓国に行く選択肢はなかった」(石川さん)という人がいる一方で、2000年に韓国に亡命し、国の支援で暮らすキムさんは「生まれ故郷の日本に来たかったが道がなかった」と語る。

脱北者、特に「在日」出身者は韓国でも「よそ者」。「自由な韓国の暮らしに不満はないが、友達がいない」と話す。
帰国者のうち脱北して日本に来た人は約200人、韓国に亡命した人は300~400人程度とされる。在日朝鮮人と一緒に渡航した「日本人妻」の里帰り事業も00年を最後に途絶えている。

少しでも歴史の空白を埋めようと、17年10月に日本の学者やジャーナリストら有志が「『北朝鮮帰国者』の記憶を記録する会」を立ち上げ、21年末までの証言集発刊を目指して脱北者への聞き取り調査を行っている。

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