10月28日 がっちりマンデー!!
TBS系列 7:30~ では
「買収」されたらV字回復!で儲かってる会社
大ピンチ遊園地が「駐車場」会社に買収されて復活!?
買収された側が藤和那須リゾートで買収した側が日本テーマパーク開発株式会社です。
典型的なバブル時代の業態である、別荘開発と遊園地経営・ホテル経営の業態。
この形態の企業はほぼ、バブルがはじけて銀行危機に陥った1990年代後半から2000年初頭にかけて姿を消している。もしくは別の企業に買収されている。
藤和那須リゾートは後者のケース。
藤和那須リゾートの沿革はこちら。
- 1964年(昭和39年) – 藤和不動産(現・三菱地所レジデンス)が那須高原で総面積250万坪のリゾート開発に着手
- 1969年(昭和44年) – 藤和那須管理(現・藤和那須リゾート)を設立し、藤和那須ハイランドの営業と別荘の建設・販売を開始
- 1974年(昭和49年) – 藤和那須ハイランド・ロッジ(現・TOWAピュアコテージ)の営業を開始
- 1979年(昭和54年) – 那須ハイランドパークを拡充し、ジェットコースターを中心とするアトラクションの導入を開始
- 1987年(昭和62年) – 現社名に変更
- 1994年(平成6年) – TOWAピュアコテージの敷地内に温泉棟が完成
- 1995年(平成7年) – 那須ハイランドパークの年間入場者数が100万人突破を達成
- 2003年(平成15年) – 那須ハイランドパークに、世界的な知名度を誇るブロック玩具「レゴ」(Lego)をテーマとした「レゴミュージアム」を日本で初めてオープン
- 2004年(平成16年) – 那須ハイランドパークに新アトラクションをオープン
- 2005年(平成17年) – レゴミュージアムを進化させた「レゴスタジアム」を完成
- 2011年(平成23年) – 「レゴスタジアム」を閉館
- 2012年(平成24年) – BANDAI・キャラクタートイスタジアムを開館
- 2016年(平成28年) – 三菱地所レジデンスが全株式を日本テーマパーク開発株式会社(日本駐車場開発株式会社の完全子会社)に譲渡。
1979年7月。那須ハイランド内にあるスポーツ、レジャー施設「那須ハイランドパーク」に新たにジェットコースターを初めとする遊戯施設を導入。
那須ハイランド別荘地の分譲は一時中断していたものの、開発地域内には未だ相当の未販売地を残していることから、那須ハイランド内へできるだけ顧客を動員し、将来本格的に別荘地販売を行う時期に備えてのPRを兼ねたものであった。
導入された遊戯施設は「スペースジェット」、「サンダーコースター」など大型のもので、新装なった8月からの入場者数は驚異的に伸びた。また、1980年6月には「ハイループコースター」も導入し年間の入場者数は45万人を突破。
その後も着実に施設を拡張、充実させ平成7年には入場者100万人を突破。、2000年には別荘の数も1300棟を超えた。
1987年、社名を「藤和那須管理(株)」から「藤和那須リゾート(株)」に一新、TOWAピュアコテージ、那須ハイランドパークの運営、別荘地の販売、管理を柱とする総合リゾート事業を手がけつつ今に至っている。
藤和那須リゾートのアクセス
東北自動車道「那須IC」(インター)から約20分。もしくは東北自動車道「黒磯板室IC」から約30分。
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藤和不動産サッカー部→湘南ベルマーレ
藤和不動産サッカー部は1967年より結成の準備を行い、1968年正式に発足した。
発足当時からの目標は「3年で日本リーグ入り」というハードルの高いものであった。さらに1969年には、那須に、公式試合にも利用できるサッカー専用グラウンドも整備された。
同年、当社の期待に応えるべく、栃木リーグ1部で全勝優勝し、関東リーグ入れ替え戦を経て関東リーグ入りを果たした。日本リーグ入りは1971年。3年での達成はならなかったものの、結成以来わずか3年8ヶ月という記録破りの早さであった。
その後藤和不動産サッカー部は、日本一の座こそ逃したものの、日本リーグで活躍した後、オイルショックの不況の影響を受け、1975年、フジタ工業(現・(株)フジタ)へ移管、「フジタ工業クラブ」として新たなスタートを切った。また、Jリーグ発足後は「ベルマーレ平塚」(現・湘南ベルマーレ)として活躍を続けている。
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