7月27日 徹子の部屋
本日のゲストはあべ静江さんです。
あべ静江のヒット曲といえば何と言っても。
『水色の手紙』
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こんな歌、冗談じゃない。歌えるもんか。最初に歌詞を見せられたとき、21歳のあべ静江のそれが正直な気持ちだった。セリフがいや。
デビュー曲「コーヒーショップで」は歌謡曲ではあったが、ミディアムテンポのちょっと文学的な匂いのする秀作だったが、セカンドシングルで用意された「みずいろの手紙」は同じ阿久悠の作詞ながら、メルヘンチックな10代のアイドルが歌うようなフレーズが並んでいました。
学生時代地元でDJをやっていた頃
最近の画像:やはり体重増加が見られる、20kgは増加しているか?
あべ静江が嫌だったのは、歌いだしのセリフの部分。「今でも愛しているといって下さいますか」だった。
早い話、フラれたか置いていかれた女が男に未練がましく手紙を書き、まだ私のこと好き?と尋ねている、といった歌詞。
21歳のあべ静江にはこんなみれんがましい女性のことを歌うのは我慢ならなかったのでしょう?
名古屋の美人女子大生DJとして、大人気となり、一見愛らしく清楚に見えるあべだが、実はかなりはっきりした性格で気になること、嫌いなことは包み隠さず言うタイプ。
絶対歌いたくない、とスタッフにストレートに訴えた。
しかし、あべ静江の周辺はプロとして歌わない選択が許されるわけもなかったのです。
あべ静江プロフィール
●あべ静江(あべ しずえ)
□職業
歌手 女優
□本名
阿部静江(あべしずえ)
□生年月日
1951(昭和26)11.28(65歳)(射手座/A型)
□出身地
三重県松阪市
□出身校
県立松坂工業高校定時制→高田高校 東海学園女子短期大学国文学科卒業
□略歴(満年齢)
73年(22歳)シングル「みずいろの手紙」がヒット。
74年(23歳)NHK紅白歌合戦に初出場。
75年(24歳)映画「トラック野郎 爆走一番星」に出演。
※他の主な出演:
舞台 「のど自慢」
映画 「思えば遠くへ来たもんだ」「極道渡世の素敵な面々」
ドラマ「青春ド真中!」「ザ・ハングマン」「八代将軍吉宗」
テレビ「笑っていいとも!」「あべ一座」
CM 「エバラ食品 浅漬けの素」「武田薬品 新タケダ胃腸薬」
□趣味
テレビゲーム ビーズストラップ作り 家庭雑貨収集 スポーツ観戦 植木いじり
カラオケ 釣り ゴルフ
□身長
158㎝
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・生家は伊勢神宮の参道沿いの商店街の小間物屋。
大正元年創業で羽織紐、帯揚げ、帯締めなどの和装小物、化粧品などを扱っていた。
・父親はラジオ三重の専属ミュージシャン。
バイオリン、ピアノ、ギター、アコーディオンなどを演奏出来た。
・母親は東海ラジオの専属歌手。
NHKののど自慢大会で優勝してデビューする筈だったがあべ静江をみごもったので断念した。
・両親は結婚を反対されて駆け落ちした。
・12歳年下の弟がいる。
・幼稚園で覚えた歌を家で歌うと両親にダメ出しをされた。
・体が弱く病気がちでおとなしい子供だった。
・小3の時、書道と絵のコンクールで受賞して自信がついて積極的になった。
・小4の時、担任の勧めで出場した子供音楽会で3位入賞(1位と2位は器楽演奏だったので歌の1位)。
・定時制高校を1年で中退して普通高校に再入学。
・普通高校時代、弁論部。
・高3の時、生徒会副会長を務めた。
・高校時代、成績優秀だった。
・高校時代、嫌いな先生の科目は一切勉強せず提出物も出さなかった。
・高校時代、髪が天然パーマで茶色がかっていたので、
学校側と話し会って「天パと赤毛の証明書」を発行させた。
・高校時代、ボーイフレンドがたくさんいた(ひとりに絞れなかった)。
・短大時代、クラスメイトを扇動して講義でボイコットして生物の老講師を退任に追い込んだ。
高齢で話す声が聞き取れず、古いノートをただ板書するだけの講師だった。
高校あたりからハッキリした性格に変わっています。
芸能界にデビューしてからもそれはかわらず続いています。
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