恩田聖敬さん
ハートネットTV「難病ALSと闘い起業・恩田聖敬さん▽絶望から救った言葉」
2016年12月5日(月) NHK Eテレ 20時00分~20時30分に出演します。
2014年4月、Jトラスト社長の藤澤信義が支援に乗り出した
Jリーグ・FC岐阜の運営会社である
株式会社岐阜フットボールクラブの代表取締役に就任
2015年11月22日に行われたシーズン最終戦・対
アビスパ福岡戦の試合終了後の挨拶で
社長職を退任することを表明しました。
その退任の理由には、恩田聖敬の
筋萎縮性側索硬化症 (ALS)の発症が
深く関わっています。
2014年5月にALS発症を医師から告知された
とのこと、本人は「お客様の喜ぶ姿や、『ありがとう』の
声に接することが出来るこの職務は、
私の天職」との思いからできる限りの職務続行の
意思を示していたが、病気の進行と共に
職務遂行に支障を来すようになった
ための止むおえぬ退社で
あるようです。
また恩田聖敬さんはFC岐阜退社と同時に
ブログをはじめました。
理由は自分が生きた証
を子供に残したいため。
恩田聖敬さんには
9歳と6歳の子供がおられます。
恩田聖敬のプロフィール
氏名:恩田 聖敬(おんだ・さとし)
生年月日: 1978年5月10日(38歳)
出身地:岐阜県
出身校 :京都大学大学院
職業: 実業家
肩書き :岐阜フットボールクラブ前代表取締役
配偶者 :有
京都大学大学院(航空宇宙工学専攻)まで進学するも、
当時訪れたディズニーシーでサービス業の面白さを知り、
この道に進む事を決意。
卒業後ベンチャー企業に入社、
大学院生からゲームセンター店員に
華麗に転身します。
以後複数のアミューズメント会社にて、
現場、企画、経営管理に携わり、2014年
FC岐阜代表取締役社長に就任。
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恩田聖敬の結婚
2007年5月4日に
結婚式を挙げられています。
妻に人生の最後に、「一緒になって良かった」と
言わせる自信があったのです。
恩田聖敬がカミングアウトした
ALSという病気は
「ALS(エーエルエス)のことは、
自分が病気(びょうき)になるまで知りませんでした」と、
サッカーJ2・FC岐阜の
運営(うんえい)会社社長、恩田聖敬さん
岐阜県山県市出身が話しています。
2015年1月、ALSであることを
明らかにしました。恩田さんが
最初に異変を感じたのは2013年の年末(ねんまつ)でした。
手の指(ゆび)が動(うご)かしにくく、
違和感(いわかん)がありました。
2014年5月、病院でALSと診断されました。
「いずれ体が動かなくなり、
しゃべれなくなると言われましたが、
そのときは想像すらできませんでした」
振り返っています。
ALSは神経の病気です。
国内に約1万人の患者がいます。
「体を動かせ」という脳からの信号を、
筋肉に伝える神経細胞がだんだん壊れてしまい、
自由に体を動かすことが難しくなっていく難病
家族や親族に発症した人がいる遺伝性は少なく、
突然変異的に
誰にでも起こり得る病気です。
話しにくい、食べ物をのみ込みにくいという症状
で始まることもあります。
進行の速さにも個人差があり、
見る、聞くなどの五感や記憶、知性に関わる神経には、
障害はほとんどみられません。
恩田さんは「1人でできることが少なくなってきた」と言います。
布団から起きる、服を着る、歯磨きをする。
今は家族に助けてもらわないとできなく
なってきています。
でも「病気だから、障害があるからかわいそう。
そんな気持ちは違うなと思うようになりました」
と恩田聖敬さんは言います。
できないことへの配慮は別として、
1人の人間として尊重してほしい。
楽しいときは楽しい、
笑うときは笑いたい。
周りにもそう声を掛けて
いるようですよ。
恩田聖敬はクラウドファンディングで創業した
2016年5/10~6/26の48日間にて、
8,344,065円のあたたかい寄付があつまった。
これにより、創業の初期のハードルを越え、
また移動用福祉車両の安全性を確保する事も
可能となりました。
クラウドファンディングのギフトは
恩田さんの新会社設立後、
順次寄付したかたに連絡されるようです。
恩田さんは新会社において
・恩田さん独自の経験や知識を、講演会や執筆により情報発信。
・福祉、医療サービスの改善。
を目指して活動を続けていかれます。
800万円の寄付はその活動
のために全額使われます。
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