9月6日(火) NHK Eテレ 22:00~
先人た
の特集です。小林一三翁といえば今の阪急・東宝グループの基礎を作った先人です。
小林一三は、1873(明治6)年、現在の山梨県韮崎市に生まれました。
「一三」の名は、誕生日1月3日に生まれたから。
19歳の時に慶 應義塾を卒業し、三井銀行で本店勤務の後、大阪支店に赴任します。
«もともと文学青年»
文学青年で小説家志望であった一三ですが、銀行員時代の先輩達との出会いから事業 の面白さに目覚めていきました。
«阪急の始まりは宝塚線»
1907(明治40)年、三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道(現、阪急宝塚線・箕面線)を創立します。
«電車沿線に住宅開発行う»
独特のマーケティング術で抱き合わせ開発を行う。
1910(明治43)年運行を開始した電車事業は、沿線の住宅開発を共に行うという独創的なアイデアによって好調なスタートを切りました。
«阪急デパートの大食堂が評判を呼ぶ»
1920(大正9)年には神戸線が開通し、社名も阪神急行電鉄と改め「阪急電車」として親しまれます。一方梅田には、1929(昭和 4)年、阪急百貨店(現、阪急うめだ本店)を開業し、洋食をメインとした大食堂は大人気となりました。
«宝塚歌劇団や阪急ブレーブスも経営»
また、宝塚歌劇や阪急ブレーブス、そして東宝を設立 するなど、たくさんの人たちが楽しむ事業を次々に成功させていきました。
一三のユニークな発想から生まれたビジネスモデルは、私鉄経営を始めとする各地の事業者達に影響を与えました。そうした手腕が見込ま れて、東京電燈(現、東京電力)の経営を立て直し、1940(昭和15)年には第二次近衛内閣の商工大臣、戦後には戦災復興院総裁に任命されました。
一三個人としても、幅広い著作を遺した文化人としての素顔を持っています。日常の暮らしの中では、趣味の俳句や茶の湯を通じて多くの人々との交流を楽しみました。
多方面に足跡をのこした一三は、1957(昭和32)年、享年84歳で没しました。しかし、お客様への新たな生活と楽しみの提案を第 一とする一三の精神は、現在も阪急阪神東宝グループの様々の会社によって受け継がれています。そして一三が創始した数々の社会事業・文化事業は、今もなお 社会の中で発展を続けています。
小林一三のビジネスモデルは沿線に住宅地を開発したり、商業施設を作ったり、球場を作った。電鉄会社が乗る客を自ら作るというその頃は全く斬新なビジネスモデルです。
さてこんな阪急の歴史を知りたい方に最適な施設を紹介したいと思います。
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小林一三記念館
住所:逸翁美術館/マグノリアホール/小林一三記念館
- 〒563-0058 池田市栄本町12-27
- TEL:072-751-3865
- FAX:072-751-2427
アクセス:
大阪より … 阪急宝塚本線 梅田駅から約20分
京都より … 阪急京都本線 河原町駅から約1時間
神戸より … 阪急神戸本線 三宮駅から約50分
宝塚より … 阪急宝塚本線 宝塚駅から約15分
小林一三記念館は、小林一三の旧邸である洋館「雅俗山荘」を中心に、小林一三の事績を紹介する施設として、2010年に開館しました。
2009年に美術館が新設、移転したことに伴い、新たに「小林一三記念館」として生まれ変わり、1973年に敷地内に増築された現「白梅館」とともに、逸翁の業績に思いをはせることが出来ます。
乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客を作り出せばよい。それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ。
利用案内
定休日
- 月曜日(ただし、月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日)
- 年末年始
観覧料(税込)
一般・学生(高校生以上) | 300円 |
---|---|
中学生以下 | 無料 |
- 団体割引・各種割引適用はありません。
- 逸翁美術館の観覧券提示で上記料金より100円割引があります。
- 障がい者手帳提示で、ご本人と介助者1名は無料です。
開館時間
10時00分~17時00分(入館は16時30分まで)
来館者用駐車場
8台(無料)
まとめ
小林一三名言集
●百歩先の見えるものは、狂人あつかいにされる。五十歩先の見えるものは、多くは犠牲者となる。十歩先の見えるものが、成功者である。現在が見えぬのは、落伍者である。
●乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客を作り出せばよい。それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ。
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